問、禅門の宗師の語をみれば先ず自心を悟りて後、やうやく旧業・余習を尽して余力あらば他人に及ぼすべしと、すすめられたり。しからば経の中に自未得度先度他とするは菩薩の願なりといへるに背かずや。(大般涅槃経に「憐愍世間大醫王 身及智慧倶寂靜
無我法中有眞我 是故敬禮無上尊
發心畢竟二不別 如是二心先心難
自未得度先度他 是故我禮初發心
初發已爲人天師 勝出聲聞及縁覺
如是發心過三界 是故得名最無上・・」と)
答、慈悲に三種有。衆生縁・法縁・無縁の慈悲、あり。
・衆生縁の慈悲とは、生死に迷える衆生ありとみてこれを度して出離せしめんとす。これは小乗の慈悲なり。自身ばかりの出離を求むる二乗心にはまされりといへども、世間の実有の見に堕ちて利益の相を存するがゆえに真実の慈悲にあらず。維摩経の中に「愛見の大悲」とそしれるはこれなり。
・法縁の慈悲とは縁生の諸法は有情非情みな幻化のごとしと通達して如幻の大悲を発し、如幻の法門を説いて如幻お衆生を再度す。これすなわち大乗の菩薩の慈悲なり。かやうの慈悲は実有の情を離れて愛見の大悲には異なりと雖も、なほも如幻の相を存するがゆえにこれもまた真実の慈悲にあらず。
・無縁の慈悲といっぱ、仏果に到りて後、本有性徳の慈悲現はれて化度の心を発せざれども自然に衆生を度すること月の衆水に影を写すがごとし。然らば則ち法を演ぶるに説不説の隔てもなく人を度するに益無益の相もなし。これを真実の慈悲と名ずく。衆生縁・法縁の慈悲にかかはる人はその慈悲にさへられて無縁の慈悲を発することあたわず。小慈は大慈のさまたげといへるはこの義なり。百丈の大智禪師の小功徳・小利益をむさぼることなかれと戒めたまへるもこの意なり。
(夢中問答)
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