福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

霊魂の話(折口信夫)・・その2

2017-02-21 | 法話
なるの信仰から生れた民譚
竹とり物語のかぐや姫は、此なるの、適切な例と見られる。此物語には、なると言ふ語は使つてないが、ないだけに、却つて信用が出来る様に思はれる。(先に「日本人は、ものゝ発生する姿には、原則として三段の順序があると考へた。外からやつて来るものがあつて、其が或期間ものゝ中に這入つて居り、やがて出現して此世の形をとる。此三段の順序を考へたのである。」と書いた。)
なよ竹のかぐや姫は、山の中の竹の、よ(節と節との間の空間)の中にやどつて育つた。其を竹とりの翁が見つけてつれて来る。此物語は、純粋の民間説話でなく、其をとつて平安朝に出来た物語であるから、自然作意がある。姫がどうして、竹のよの中に這入つたかなどゝ言ふことも言はれてはない。天で失敗があつて下界に降り、或期間を地上に居てまた天へ還つたといふ風に、きれいに作られてゐる。
類型の話は、猶幾つかある。桃太郎の話が、やはり其一つである。我々の考へから言へば、桃の中にどうして人が這入つたらうと疑はないでゐられないが、昔はそこまで考へる必要はなかつたのだ。此話では、桃の実が充実して来ると言ふ考へと、桃太郎が大きくなつて出て来る時期を待つて居ると言ふ考へとが、一つになつて居る。朝鮮には、卵から生れた英雄の話がたくさんある。日本と朝鮮とは、一部分共通して居る点がある。あめのひぼこ(『日本書紀では、垂仁天皇3年3月条において新羅王子の「天日槍」が渡来したと記す)は、朝鮮からやつて来た神だが、やはり卵の話に関聯して居る。(古事記では「あまのひこぼ」は妻としていた赤玉が難波に来たのを追って来日したという) 卵の話は、日本にも全然ない事はないが、日本には、卵でなく、もつと外の容れ物があつた。瓜に代表させていゝと思ふが、瓜といふと、平安朝頃まではまくわの事で、喰べられるものゝ事を言うた。古くは、主としてひさごを考へた。其ひさごの実が、だん/\膨れて来て、やがてぽんとはじける時がくる。其は其中に、或ものが育つて居ると考へたのである。
更にかうした話は、もつと異つた形でも残つて居る。聖徳太子に仕へ、中世以後の日本の民俗芸術の祖と謂はれて居る、秦ノ河勝(用明天皇2年(587年)に発生した丁未の乱で、物部守屋の追討戦に従軍し、聖徳太子を守護しつつ守屋の首を斬ったという。推古天皇11年(603年)、聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、蜂岡寺を建てそれを安置したと伝える)には、壺の中に這入つて三輪川を流れて来た、との伝説が附随して居る。此壺には、蓋があつた。桃太郎の話よりは、多少進化した形と見られる。
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