山田無文老師のことばです。
「科学が発達しすぎて人間は作る喜びを機械に奪われてしまった。しかしまだ作るものはいくらでもある。俳句を作ろう。短歌を作ろう。画をつくろう。温かい言葉を作ろう。やさしい笑顔をつくろう。そしてよい人間関係と平和な世界をつくろう。トルストイの最高の傑作は彼の顔といった人がいるが、死ぬまでによい顔を作ろう。」
先日遷化された護国寺貫主岡本永司猊下は「熙怡微笑」(きいびしょう)という揮毫を残されていました。
この猊下の揮毫の「熙怡微笑」は理趣経からとったものです。
理趣経に「時薄伽梵一切 如來大 乘現 證 三 麼耶一切 曼荼羅 持金 剛勝薩垣 。 於三 界 中。 調 伏 無餘 。 一切義成就 。 金剛手菩薩摩訶薩。 爲歓重顯明此義故 。 熙怡微笑。 左手作金剛慢 印 。 右手抽擲本初大金剛。 作勇進勢 。 説大樂金剛不空 三 麼耶心」((理趣釈による訓読) 「時 に 婆伽梵一切 如 來 の 大 乘 を も て現 に 三 昧 耶一切 曼茶羅 を 證 せ る 持 金 剛 勝 薩垣 三 界 の 中 に 於い て調伏 して餘 り無 か らしむる。 一 切義成就金剛手菩薩摩訶薩重ねて 此 の 義 を 顯 明 せ ん と欲うが 爲 の 故 に熙怡微笑 して 左 の 手 に金 剛 慢 印 を作 り、右 の 手 に 本初 の 大金剛 を抽擲 して 、 勇進 の 勢 を作 し、 大樂金剛不 空 三 昧耶 心 を説 く」)とあります。
ここで「熙怡」とは「ひかり・よろこぶ、こと」と松永有慶「理趣経講讃」にあります。
まさに岡本猊下の和顔は「ひかりよろこんで」おられるお顔でした。
「科学が発達しすぎて人間は作る喜びを機械に奪われてしまった。しかしまだ作るものはいくらでもある。俳句を作ろう。短歌を作ろう。画をつくろう。温かい言葉を作ろう。やさしい笑顔をつくろう。そしてよい人間関係と平和な世界をつくろう。トルストイの最高の傑作は彼の顔といった人がいるが、死ぬまでによい顔を作ろう。」
先日遷化された護国寺貫主岡本永司猊下は「熙怡微笑」(きいびしょう)という揮毫を残されていました。
この猊下の揮毫の「熙怡微笑」は理趣経からとったものです。
理趣経に「時薄伽梵一切 如來大 乘現 證 三 麼耶一切 曼荼羅 持金 剛勝薩垣 。 於三 界 中。 調 伏 無餘 。 一切義成就 。 金剛手菩薩摩訶薩。 爲歓重顯明此義故 。 熙怡微笑。 左手作金剛慢 印 。 右手抽擲本初大金剛。 作勇進勢 。 説大樂金剛不空 三 麼耶心」((理趣釈による訓読) 「時 に 婆伽梵一切 如 來 の 大 乘 を も て現 に 三 昧 耶一切 曼茶羅 を 證 せ る 持 金 剛 勝 薩垣 三 界 の 中 に 於い て調伏 して餘 り無 か らしむる。 一 切義成就金剛手菩薩摩訶薩重ねて 此 の 義 を 顯 明 せ ん と欲うが 爲 の 故 に熙怡微笑 して 左 の 手 に金 剛 慢 印 を作 り、右 の 手 に 本初 の 大金剛 を抽擲 して 、 勇進 の 勢 を作 し、 大樂金剛不 空 三 昧耶 心 を説 く」)とあります。
ここで「熙怡」とは「ひかり・よろこぶ、こと」と松永有慶「理趣経講讃」にあります。
まさに岡本猊下の和顔は「ひかりよろこんで」おられるお顔でした。