福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

ナチスのガス室から生還したフランクルの言葉

2012-04-27 | 法話

ロゴスの覚醒と自己超越は、ほぼ同義語であるといってよい。

 いずれにせよ、(ロゴセラピーがめざすのは)、自己超越なのである。自分を忘れることこそ、ロゴスという「本当の自分」と一体化する道であり、空虚感を満たす「本当の幸福」をつかむ道だからである。
・・・
この世界の、この人生の究極の意味は、結局は何か。
 究極の意味(フランクルはそれを「超意味」という)は人間には決して知ることはできない。・・

 超意味とはロゴスのことであり、ロゴスは私たち人間の本質であるから、超意味を把握するとは、要するにロゴスと一体化し、ロゴスになること、換言すれば「本質的な自分自身」になることである。そうなったとき、人は自らを意識することはない。

完全に根源的な"自分自身"であるとき、精神は自分自身に対して無意識である。

 なぜなら、ロゴスは愛だからである。愛とは自他の区別なき一体感のことだ。そこに「自分」は存在しない。つまり自己超越している。したがって、ロゴスそのものが自らを意識していないことになる。

 ・・・超意味と自己超越と愛とは、すべて同じことなのだ。それらは異なった側面からロゴスを表現しているに過ぎない。




 人間が、自らの存在と生きる意味に疑問を投げかけるのは、結局のところ、自分自身が本質的な自分(ロゴス)とかけ離れているからである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 普賢菩薩行願讃 | トップ | 浅井證善師の「初心の修業者... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事