福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大智度論より・・1

2019-11-05 | 諸経
大智度論釋初品中尸羅波羅蜜義第二十一
卷第十三龍樹菩薩造・後秦龜茲國三藏鳩摩羅什
奉詔譯

(尸羅波羅蜜)・・1
(大品般若経にいう)罪と不罪とは不可得の故に、應に尸羅波羅蜜を具足すべし。
(大智度論にいう)尸羅とは好んで善道を行じ、自ら放逸ならざる、是を名けて尸羅という。或は受戒して善を行じ、或は受戒せずして善を行ず、皆な尸羅と名く。尸羅とは、略説すれば、身口の律儀であり、八種有り。不悩害・不劫盗・不邪婬・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語・不飲酒及び浄命なること、是れを戒と名く。若し護らずして、放捨するを、是れを破戒と名く。是の戒を破る者は三悪道中に堕ち、若し下の戒を持てば人中に生じ、中の戒を持てば六欲天中に生じ、上の戒を持ち又四禅(色界の四種の禅定)・四空定(無色界の四種の禅定)を行ぜば、色・無色界の清浄天中に生ず。若し下の戒を持てば人中に生じ、中の戒を持てば六欲天中に生じ、上の戒を持ち又た四禪
四空定を行ぜば色無色界の清淨天中に生ず。上の持戒に三種あり、下清淨持戒は阿羅漢を得、中清淨持戒は辟支佛を得、上清淨持戒は佛道を得る。不著・不猗・不破・不缺は聖の讃愛する所なり。如是を名けて上清淨持戒となす。若し衆生を慈愍するが故に、衆生を度せんがための故に、亦た戒の實相を知るが故に、
心に猗著せず、此の如く持戒せば將來人をして佛
道に至らしむ。如是を名て無上佛道戒を得となす。若し人、大善利を求めば、當に堅く持戒すること重寶を惜しむが如く、身命を護るがごとくすべし。何以故に、譬ば大地の一切萬物有形之類は皆な地に依って住す。戒も亦た如是なり、戒を一切善法の住處となせばなり。復次に譬ば無足にして行んと欲し、無翅にして飛んと欲し、無船にして渡らんと欲するがごとし。是れ不可
得なり。若し無戒にして好果を得んと欲するも亦復た如是なり。若し人、此戒を棄捨せば、山居苦行し食果服藥すといえども、禽獸と異ることなし。或は人ありて但陀水を服するを戒と爲し、或は乳を服し或は気を服し、或は剃髮、或は長髮、或は頂上に少許の髮を留め、或は袈裟を著し、或は白衣を著し、或は草衣を著し、或は木皮衣を著し、或は冬入水し、或は夏火に炙り、若しくは自ら高巖より墜ち、若しくは恒河中に洗ひ、若しくは日に三たび浴し、再び火を供養し、種種の祠祀、種種の呪願、行を受け苦行するも、此の戒無きをもって空しゅうして無所得なり。若し人ありて
高堂大殿に處し好衣美食すといえども而も能く此の戒を行ずる者は好處に生まれることを得、及び道果を得ん。若し貴きも若しは賤しきも、若しは小なるも若しは大なるも、能く此淨戒を行ぜば皆大利を得る。若し此戒を破すれば貴となく賤となく大となく小となく、皆な隨意に善處に生ずることをえず。
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