福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様の御足跡寺院その12の修正版

2013-09-05 | 法話
12、
福州着岸・・大師三十一歳、(延暦二十三年、西暦八百四)
・開元寺(中国福建省の省都・福州市)大師一行は福州馬尾港からの上陸を許可され開元寺に滞在したとされます。いま境内には空海入唐記念碑がたっているそうです。
・霊隠寺(杭州)浙江省の大師一行は四か月ご滞在と伝えられその間杭州最大寺院である霊隠寺にもお参りしたとされます。境内にはお大師様の像がおまつりされているといいます。(「空海の道」)
・寒山寺(蘇州)修行大師像が建立されています。
・霊巌山寺(蘇州)寒山寺とともに大師がおたち寄りになったとされます(「空海の道」)。二つとも自分でもお参りしてきましたが寒山寺では揮毫を頼まれ「佛心」とかいてきました。霊巌山寺はひなびた山寺です。小さなお大師様のお像をおまつりしていました。
・天寧寺(常州)ここの四天王殿まえには「空海上人留学所」と書かれているといいます。(「空海の道」)
・金山寺(鎮江)寺には大師をしのんだ詩がのこっているといいます(「空海の道」)。
・開宝寺、相国寺(開封)相国寺にも修行大師像が立てられているといいます(「空海の道」)。


青竜灌頂・・大師三十一歳、(延暦二十三年、西暦八百四)
・西明寺(長安城内延康坊の南西隅)・・御滞在
・醴泉寺(長安)・・般若三蔵・牟尼室利三蔵から悉曇伝授
・青龍寺(西安市鉄炉廟村)・・大師は入唐ののち西明寺に住まわれていたといいます。ここは玄奘三蔵、道宣、義浄も住されたことがあります。「唐貞元二十一年(延暦二十四年、)二月十一日、大使賀能は,轅を廻らして帰朝し、大師並びに橘逸成は勅によりて留学す。西明寺永忠和尚の故院に住したまひき。ここに城中を巡り諸寺に遊んで、名徳を訪ひ師衣を求め給うに、長安青龍寺東塔院の恵果和尚の御事を伝え聞きて、・・和尚の御許へ詣でたまへり・・」(弘法大師行状絵巻)
「・・空海去んし延暦二十三年をもって、命を留学の末にふくんで、津を万里の外に問う。その年の臘月長安に到ることを得たり。二十四年二月十日、勅に准じて西明寺に配住す。ここに即ち諸寺に周遊して師依を訪い択ぶに、幸に青龍寺の灌頂阿闍梨、法の号恵果和尚に遇うてもって師主となす。その大徳はすなわち大興禅寺大広智不空三蔵の付法の弟子なり。・・(恵果)和上たちまちに笑みを含み、喜歓して告げていわく『我先より汝がくることを知りて相待つこと久し。今日相見ること大いに好し、大いに好し。報命つきなんとすれども、付法に人なし。必ず須らく速やかに香花を辨じて灌頂壇に入るべし』と。すなわち本院に帰り、供具を営辨して、六月上旬に学法灌頂に入る。この日大悲胎蔵大曼荼羅に臨んで、法に依って花を抛うつに、偶然にして中台毘盧遮那如来の身上に着く。阿闍梨賛じていわく、不可思議不可思議なりと。再三讃嘆したまふ。すなわち五部灌頂に沐し、三密加持を受く。これより以後、胎蔵の梵字・儀軌を受け、諸尊の瑜伽観智を学す。七月上旬にさらに金剛界の大曼荼羅に臨んで重ねて五部の灌頂を受く。また花を抛に毘盧遮那を得たり。和尚驚嘆したまふこと前のごとし。八月上旬にまた伝法阿闍梨位の灌頂を受く。・・」(御請来目録)

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