今日は疫病を払うために興福寺に観音像を造立して拝んだ日。
続史愚抄 / 弘安元年(1278)五月十八日条
「十八日 疾疫流行ニ依リ 興福寺ニ観音像ヲ造立シテ 之ヲ祈禳セシム」
(後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗。
建治四年(1278)二月二十九日、疾病により改元。
改元の日より半月前の同年2月13日、日蓮上人が松野氏にあてた返書の中に「日本国数年の間、打ち続きけかち(飢渇:飢えと渇き)ゆきて衣食たへ(絶え)、畜るい(類)をば食いつくし、結句(結局)人をくらう(食らう)者出来して、或は死人・或いは小児・或いは病人等の肉を裂取りて、魚鹿に加へ(え)て売りしかば、人是(これを)買くへり(買い食えり)”“また去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家、百家に五十家、皆やみ(病み)死、或いは身はやまねども心は大苦に値へり」とある。)
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