福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国遍路日記(山頭火)・・その7

2014-03-14 | 法話
十一月十日 晴、朝寒、行程八里、高知山西。

――よう降った、夜明けまで降りつづいたが、朝はからりと晴れわたって、星がさえざえと光っていた、――助かったと思う、幸福々々(宿もよかった、ほとんど申分なかった)。
七時出立、松原がよろしい、お弁当のおもいのもうれしかった、赤岡町まで二里半、途中行乞(功徳は銭七銭米六合)。
午後はひたすら高知へ強行した、申訳ないけれど、第二十八番、第二十九番は遥拝で許していただく、(28番は大日寺、ここでわたしは縁者の病を治していただきました。29番は国分寺です。)風が出て来たが、ほどなく凪いで、のどかな小春日和になった、御免からは路面舗装、身も心も軽い、思いかけなく、電車から降りた母子の方から拾銭玉を頂戴した(この十銭が私を野宿から助けてくれた!)。
いそいだけれど暮れて高知着、まず郵便局で郵便物を受取った、いろいろ受取ったけれど、期待したものはなかった、がっかりした、お札所横の山西屋に泊る、名を売っているだけ客扱もよく客人も多い、おいしい御飯をたべ風呂に入って、ぐったり寝た、アルコールなし。(30番の近くと思い調べましたが当然のことながら山西屋という宿はいまはありませんでした。いまは高知駅前に泊まることが多いのです。)
米八合渡して(内五合は飯米)不足金二十銭払った。

┌米八合渡 内五合は飯米┐
└金十三銭払      ┘


(夕食)     (朝食)


焼魚       味噌汁二杯
菜葉ひたし    削節
沢庵漬      たくあん二片

さしみ      味噌汁二椀
蓮の煮付     菜葉の煮たの
漬物       漬物


金がある時は金のない時を考えないけれど、金のない時は金のある時を考える、……私たちのようなものの痛いところだ。
かけだし夫婦はすぐ解る! と宿の人々がいう、なるほど、そうだで。
(遍路宿の人ほど人を見る目のできた人々はいません。わたしも僧形で回っているのに、神峯寺麓の遍路宿の女将さんに瞬間的に「あなたは、お役人さんでしょう」と言い当てられ愕然としたことがあります。それだけ自分には僧侶らしさでなく役人臭がこびり付いていたのです)。


落日いろいろ


大洋、都市、田園、山中。



(十一月十日)


墓地はしづかなおべんたうをひらく
梅干あざやかな飯粒ひかる


行乞即事


あなもたいなやお手手のお米こぼれます
まぶしくもわが入る山に日も入つた


高知城


お城晴れわたる蔦紅葉
銅像おごそか落つる葉もなく


土佐路所見


重荷おもけど人がひく犬がひく(当時は「犬車」というのがあり犬に車いすを引かせていたりしたようです。札所で「犬車」から落ちて少年が突然歩けるようになったという霊験談もあります。)

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