福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は聖徳太子の日です

2015-02-22 | 法話
・22日は聖徳太子の日です。太子は推古天皇30年(622年)妃・膳大郎女が2月21日に没した後を追うようにして翌22日、薨去されました。

・聖徳太子ゆかりの広隆寺・法隆寺では3月22日、四天王寺等では4月22日に聖徳太子の遺徳を偲ぶ法会が行われているようです。

・太子は自ら『三経義疏』を著し、十七条憲法では

「二に曰く、篤(あつ)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かるを直さん。」

とされ日本国の基盤として佛教を置かれました。


・聖徳太子ゆかりの寺は多く、
四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、広隆寺、法起寺、葛木寺は『上宮聖徳法王帝説』等で聖徳太子が創建の七大寺と称され、叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺はそれぞれ上之太子、中之太子、下之太子と呼ばれています。
叡福寺は師僧の寺でもあったのでおまいりしたことがありますが、師僧は「ここは三骨一廟といわれている」と説明してくださいました。丘陵を利用した円墳で、中央正面に間人大妃、その前面東側に、太子、西側に菩岐々美郎女の墓が並べられています。この三骨一廟の思想は、母妃を阿弥陀、太子を救世観音、妃を勢至菩薩になぞらえているということでした。

 弘法大師は聖徳太子の生まれ変わりといわれ、ここ叡福寺にも参籠されています。ここの墳丘の周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重に囲まれていますが内側の結界石は弘法大師が一夜で築かれたとされています。
大師のほかにも、親鸞や日蓮、一遍などが叡福寺に参拝しています。

特に親鸞聖人は太子廟で太子から「我が三尊は塵沙界を化す。日域は大乗相応の地なり。諦らかに聴け、諦らかに聴け、我れ教令す。汝が命根は、まさに十余歳なるべし。命終わりて速やかに清浄土に入らん。善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を」という夢告をうけています。ここから日本は大乗仏教相応の国との認識が広まるのです。
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