福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

代受苦の菩薩は衆生の佛性を覚醒させる

2023-12-31 | 法話

代受苦の菩薩は衆生の佛性を覚醒させる。

 

不条理な目にあっている方々は「代受苦の菩薩様」で衆生の業を代わって受けて下さっているとともに、代受苦の菩薩に触れる衆生の「佛性」「聖性」を呼び起こしてくださっています。

 

代受苦とは仏・菩薩が大悲の心から、衆生に代わって苦しみを受けることをいいます。大悲代受苦ともいいます。諸経をみるに、観音様・お地蔵様をはじめすべての菩薩がこの代受苦の行者であるとわかります。菩薩は、すべての人びとの苦しみを自分の苦しみとして受けとめ、またその苦しみからの救済を約束しておられます。以下諸経を載せます。

 

・「維摩経」には、維摩居士がなぜ病気になったのか、との問いに対し、「一切衆生病むをもって、この故に我れ病む。もし一切衆生の病滅せば、則ち我が病も滅せん。…またこの疾やまい、何の所因より起こるやと言わば、菩薩の病は大悲をもって起こるなり」とあり、

 

・「請観世音菩薩消伏毒陀羅尼経』に「(観世音菩薩は)地獄に遊戯し代わりて苦を受く」とあり、そしてこの観音様を拝むことによって疫病が退散します。

 

・悲華経に「(お釈迦様は)諸々の衆生もし業報未だ尽きずんば我、まさに壽を捨てて阿鼻地獄に入り代わりて苦業を受くるべし・・」とあり、

 

・「仏説延命地蔵菩薩経」では、「(地蔵菩薩曰く)我當に六道衆生を抜済すべし。若し重苦あらば 我れ代りて苦を受けん」とあり、そしてお地蔵さまを供養すると先祖の成仏等様々の功徳をいただけるとあります。

 

・大方廣佛華嚴經卷第五十五・入法界品第三十四之十二には「(釈尊の前世の善伏太子曰く)『我代りて獄に囚れ諸楚毒を受けん。願くは我を苦治せよ。我彼を救んが為に不惜身命、罪囚をして悉く得解脱せしめんと欲す。所以は如何。若し我、此の衆生を救ざれば、云何が能く三界の牢獄を濟ん。諸の生死の牢獄にある衆生は悉く貪愛の為に纒縛され愚癡の所蔽となり種種の苦を受け、身形鄙陋に心常に放逸にして而も出要の道を知ること能わず。智慧の光無く諸の法界に著し、福慧有ることなくして實智を遠離し、結垢に染縛せられて苦獄に幽閉し、惡魔に隨順して生老病死し、常に憂惱の逼迫する所となる。我當に云何んが彼をして解脱せしむべき。我今應當に自の身命を捨てて之を救拔せん。』」とあります。

 

 

・お経以外にも聖徳太子は倒れている異人に衣をかけてやると達磨禅師だったとか、

(「日本書紀・推古廿一年冬十一月、作掖上池・畝傍池・和珥池、又自難波至京置大道。十二月庚午朔、皇太子、遊行於片岡。時飢者臥道垂、仍問姓名、而不言。皇太子視之與飲食、卽脱衣裳、覆飢者而言、安臥也。則歌之曰、斯那提流 箇多烏箇夜摩爾 伊比爾惠弖 許夜勢屢 諸能多比等阿波禮

於夜那斯爾 那禮奈理雞迷夜 佐須陀氣能 枳彌波夜那祗 伊比爾惠弖 許夜勢留 諸能多比等阿波禮(しなてるや片岡山に飯に飢て臥せるその旅人あはれ親なしに汝生りけめやさす竹の君はや無き飯に飢て臥せるその旅人あはれ)

辛未、皇太子遣使令視飢者。使者還來之曰、飢者既死。爰皇太子大悲之、則因以葬埋於當處、墓固封也。數日之後、皇太子召近習者謂之曰「先日臥于道飢者、其非凡人、必眞人也。」遣使令視。於是、使者還來之曰「到於墓所而視之、封埋勿動。乃開以見、屍骨既空、唯衣服疊置棺上。」於是、皇太子復返使者令取其衣。如常且服矣。時人大異之曰「聖之知聖、其實哉。」逾惶。」)

 

・又、光明皇后がらい病者の膿を吸ってやると阿閦如来となって天に昇ったとかの伝説(「建久御巡礼記」)もあります。

 

これ等の諸經や傳説に触れる時、又実際に不条理な目に遭っている人に出会う時、言い知れぬ感情が沸き上がってきます。これが愚鈍な凡夫にも佛性が覚醒してきている徽ではないでしょうか。

「苦しみを持っている人は神が自分と一緒に十字架を荷ってくれるようにお望みになって特別にお選びになった人」(曽野綾子「燃えさかる薪」)

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