福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「生」はあるともないともいえない

2020-12-20 | お大師様のお言葉

秘密曼荼羅十住心論
巻六「深秘の義にいわく大日経疏にいわく)『初めの阿字を体と為す。すなわちこれ本不生なり。生とは生老病死の一切流転なり。彼すなわち体は常にして自ら不生なる、これ阿字の義なり。諸法の自性不生なりと知るを以てなり。この故に一切衆生に於いて上あることなくして勝上・無等なりとす。またよく法体の不生を知るがゆえに群機の一切の心性を達鍳して現覚せざるところなし。彼の所応度の者にしたがってこれを成就する。すなわちこれ慈中の上なり。遍く衆生に施して窮尽あることなし。このゆえにもし衆生ありてよくこの法を通達して受持し読誦すれば行者久しからずしてすなわち弥勒の行に同じて早く大慈三昧を證するなり

生があると認めることは生老病死すべての流転が実体としてあると認めることになる。阿字は本体であり生滅しない。阿字は諸々の存在はその本性が不生不滅であることを示している。それゆえ阿字にまさるものはなく阿字に等しいものはあり得ないのである。またよくすべての存在は不生不滅であると知ることにより諸々の境遇・能力のすべての心の本性に通達し、すべてをありのままに見ることができるようになる。救うべきものの因縁にしたがって之を救うことになる。それは慈悲の中の上なるものである。あまねくいけるものに施してつきない。それゆえにもしこの法に通達して受持・読誦すれば弥勒菩薩とおなじ慈悲行をできるようになり大慈悲三昧を体得できる。)

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