第二十六 値遇密教章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・27
(人身受けがたく仏法遇ひがたし。真言密教に遇うのは更に難しい。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるもののみが密教に触れることができている。)
夫れ人身は受けがたく仏法は遇ひがたし。真言密教に遇ふは亦更に愈々難し。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるものにあらずんばこの名字をも聞くこと能わず。大日経に「秘密主、大乗の宿習なく、未だかって真言乗の行を思惟せざる者は彼れ少分も見聞し歓喜し信受すること能わず」(大毘盧遮那成仏神変加持経、入漫茶羅具縁眞言品第二之一「祕密主無大乘宿習未曾思惟眞言乘行彼不能少分見聞歡喜信受」)と。宝楼閣経に云く「薄福少徳の衆生、この陀羅尼の名字を聞くこと能わず。況や復、見て受持し、読誦することを得んや。若しこの陀羅尼の名を聞見する者あらば、この人已に曽て恒沙の諸仏に親近せるなり」(大寶廣博樓閣善住祕密陀羅尼經「薄福少徳衆生必不聞此陀羅尼名字況復得見受持讀誦若有聞見此陀羅尼名者是人已曾親近恒沙諸佛菩」)と。一切功徳荘厳王経に云はく「この妙典は値遇すること難き事、薄福の衆生は其の国内において此の経ありと雖も見ること得ず。またまた、書写し読誦し聴聞し受持すること能わず」(佛説一切功徳莊嚴王經一卷「此妙經典難可値遇薄福衆生於其國内雖有此經不能得見亦復不能書寫讀誦聽聞受持何以故由有惡魔爲障礙故」)と。青龍和上のいはく「冒地の得難きにはあらず、この法に遇うことの易からざる也と」(性霊集 大唐神都青龍寺故三朝の国師潅頂の阿闍梨恵果和尚の碑)と。