福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

災難を逃れる方法は「衆生無辺誓願度」

2021-01-31 | 法話

我々には個別に無始以来積み上げてきた深い深い業があります。どんな人にも集団にもこれはあります。毎日職場、家庭でさまざまなできごとに翻弄されている我々には毎日が一難去ってまた一難の連続です。コロナの猖獗、そして東日本大震災のような大規模な災害は我々を一瞬にして地獄の真っただ中に突き落とします。良寛さんは『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』とおっしゃったといいますが、私はこの言葉がよく理解できませんでした。しかし最近これは災難を逃れるのは「衆生無辺誓願度」という利他心を持てという事なのではないかと思い始めました。業を逃れうるのもこの利他心です。私が10年前62歳で求聞持を成満できたのもこの「衆生無辺誓願度」と書いた半切を壁に張り出して毎日見ながら行に入ったからでした。我々も放置しておけば過去の業によりさまざまな人生の苦難に遇わされますがこの「衆生無辺誓願度」という利他心を持ち続ける限り人生に怖いものはなくなるのです。

この気持ちになるときはじめて神仏が共に寄り添って助けていただけて、それとともに自分の中の神仏も生き返りパワーアップするのだと思いつきました。

弘法大師は「秘蔵宝鑰」中巻に「それ災禍の興りに略して三種あり。一には時運、二には天罰、三には業感なり。」(災禍が興るのは三種の理由がある。一には時運、二には天罰、三には業感である。)とおっしゃっています。

妙法蓮華經文句(隋の天台大師智顗の講義を弟子の灌頂が記録)に「瞋恚は戦争を起こし、貪りは飢餓を起こし、愚癡は疫病を起こす・・」とあります。

「衆生無辺誓願度」を忘れて自我にのみ心を囚われていると過去の様々な業が出てくることになるのでしょう。

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