福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

日本最古の神宮寺

2021-01-30 | 法話

日本最古の神宮寺は白村江の戦いを契機に造られました。

「日本霊異記」上巻・第七話に、斉明天皇七年661八月の頃、白村江の戦いの第一陣として百済に出兵した倭国軍に参加した備後国三谷郡の郡司(大領)の先祖が、「若し平に還へり来らば、諸神祗の為に伽藍を造立せむ」と誓願し 、出兵する。大領は無事に百済の禅師弘済と共に帰国し、弘済と三谷寺を造立する話があります。これが三谷寺がもっとも古い神宮寺とされる所以です。(白村江の戦いは敗戦でしたが大領等が無事帰ってこれたことは奇跡です)

現在国の史跡に指定されている広島県三次市向江田町の寺町廃寺跡が三谷寺(三谿寺)」と推定されるとのことです。

 

「日本霊異記上巻第七」

「亀の命を贖ひて放生し現報を得て亀に助らえし縁」

「禅師弘斎は百済の人なりき。百済の乱れし時に当たりて備後の三谷郡の大領の先祖、百済を救はむが為に遣はされて、旅(いくさ)に運(めぐ)りき、時に誓願を発して言さく『若し平かに還り卒らば諸の神祇の為に伽藍を造りたてまつらむ』とまうす。遂に災難を免れき。即ち禅師を請けて、相共に還り来り、三谷寺を造る。其の禅師の造り奉りし所の伽藍多なり。諸寺の道俗之を観て共に欽敬を為す。

禅師、尊体を造らむが為に京に上る。財を売りて既に金丹等の物を買ひ得たり。還りて難破の津に到りし時に海辺の人、大亀を四口売る。禅師、人に勧めて買ひて放たしむ。即ち人の舟を借りて童子二人を将て共に乗りて海を渡る。日くれ、夜深けぬ。舟人、欲を起こし備前の骨嶋の辺に行き到り、童子等を取り、人を海の中に擲げき。然る後に、禅師に告げて云く、『速かに海に入るべし』といふ。師、教化すと雖も賊猶し許さず。茲に於て願を発して海中に入る。水、腰に及ぶ時に石の脚に当たりたるを以て、其の暁に見れば亀の負へるなりけり。其の備中の海の浦海の辺りにして其の亀三匹領きて去る。疑はらくは、是れ放てる亀の恩を報ぜるならむかと。

時に賊等六人、其の寺に金丹を売る。檀越先に過り、量り贖ひ、禅師、後より出でて見る。賊等慌然に進退を知らず。禅師、憐愍びて刑罰を加へず。仏を造り、塔を厳りて供養已に了る。後には海辺に住まり、来れる人を化す。春秋八十有餘にして卒りぬ。畜生すら猶し恩を忘れずして恩を返報せり。何に況や義人にして恩を忘れむや。」

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