以前どこかの論文をメモしておいた備忘録から書き出しておきます。出典不明ですが・・。
「霊場はこの世の浄土であり、あの世への中継地である。仏舎利信仰による聖なる遺骨の観念は霊場での遺骨の浄化を可能とした。遺骨の浄化は白骨化のよる質的転換と霊場の浄化力の二面から進んだ。浄化された霊魂=祖霊は墓地と浄土への往還が可能となる。このことでこの世に留まる霊魂と遺骨を去って極楽へ向かう霊魂という「二つの霊魂観」が成立し、日本人の霊魂観として定着する。
江戸の仮名草子「百八町記」には前世・現世・来世と人間の形体は変わっても霊魂は亡びないと説いている。民俗学の立場からもこの不滅の霊魂が輪廻の主体と考えられたといわれる。かって個人の死は家の祖先祭祀、村の祖先祭祀、に包み込まれるようにして存在していた。かっては究極点として祖霊が存在し、神が存在し、そのような祖霊神という他者との関係で自己を定位していた。そこには個人の選択の余地はなかった。
しかし「自然葬」「散骨」「樹木葬」においては自己・世代を超えた他者は不要、自分を祀る子孫も不要、自分が祀るべき先祖も不要・・
「死後の問題」は個人の選択の問題となっている。」(「選択する個人」は昔の人に比べて神仏・先祖をちゃんとお祀りしたこともない「個人」ですからこういう個人の選択は安易に流れるに決まっています)