初甲子とは
以下、密教辞典・仏教行事催事記等に依ります。
大黒天の縁日は甲子の日で、年に六回あるので六甲子と称し、最初の甲子を初甲子といい、子の月の十一月の甲子とともに重んじられる。大黒天は大国主命と同一視されて大国主命が鼠に救われた(大国主命が野原で火を放たれたが鼠に助けられた,古事記等)ことから甲子を大黒天の縁日とする。
初甲子・初大黒・大黒祭ともいい、大黒天を祭る寺院では御開帳が行われ、福財布や開運守りを出す。
大黒寺(大阪府羽曳野市、日本最初の大黒天出現霊場)大円寺 (目黒区、元祖山手七福神)
浅草寺(米びつ大黒/浅草名所七福神)寛永寺護国院(谷中七福神)鬼子母神(雑司が谷七福神)宝積寺(大黒天宝寺、京都六大黒天)妙円寺(京都市、松ヶ崎大黒天/都七福神)
四天王寺(三面大黒天) 神田明神(千代田区)敷津松之宮大国主神社(大阪市、日之出大国/浪華七福神) 春日大社摂社夫婦大國社(夫婦大黒天像)油掛大黒天(岡山県岡山市)等。
胎蔵曼荼羅では最外院の北方に位置し、剣・袋などを持つ。インドでは財運・戦闘・冥府の神。中国では財運の神として祀られたが日本では大国主命と発音が同じなので袋を負う姿となった。
南海寄帰内法傳巻一に「莫訶哥羅(大黒天)の奇跡」として「西方の諸寺院では食堂の柱側に或いは大庫の門前に木を彫刻して形を表したものがある。この神像は或いは二尺或いは三尺で神主の形をしており、坐で金の嚢を抱ち、小さな坐に却踞り、一脚は地につけている。常に油で拭っているので黒い色が形れており,號して莫訶哥羅(大黒天)という。中国でいう大黒神のことである。
古代から相承するところでは、「是の神は大天の部嘱で性として三宝を愛し、五衆を護持し
損耗させないようにし、求める者にはその情に称ふようにさせる」と云われている。・・(私義浄は)かっての釈尊の説法所の般弾那寺で(奇瑞のあったという莫訶哥羅(大黒天)を)見た。(奇瑞というのはこの寺で大量の僧がきたとき食事が足りなくなったがこの莫訶哥羅神に祈ると充分にいきわたった)。この大黒神に願い求める者には効験があり神道(不思議な働き)は虚しくない。」とある。
三面大黒は出世大黒ともいわれ、大黒・毘沙門・弁財天の合体したお姿。
ご真言は「おん まかきやらや そわか」
大日経疏には、人の肝を食べる荼吉尼を大黒天となって調伏したとある。「大毘盧遮那成佛經疏卷第十・息障品第三之餘」「大都是夜叉大自在。於世人所説大極。屬摩訶迦羅。所謂大黒神也。毘盧遮那以降伏三世法門。欲除彼故化作大黒神。過於彼無量示現。以灰塗身。在曠野中以術悉召一切法成就乘空履水皆無礙諸荼吉尼。而訶責之。猶汝常噉人故。我今亦當食汝。即呑噉之。然不令死彼。伏已放之。悉令斷肉。彼白佛言。我今悉食肉得存。今如何自濟。佛言聽汝食死人心。彼言人欲死時。諸大夜叉等知彼命盡。爭來欲食。我云何得之。佛言爲汝説眞言法及印。六月未死即能知之。知已以法加護勿令他畏得損。至命盡時聽汝取食也。如是稍引令得入道。」
寺院の庫裏や民家の中央の柱を大黒柱というのはここに大黒天を祀ったことに由来する。