福聚講

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今日は後柏原天皇が宸筆で「真如堂縁起絵詞」をお書きになった日

2023-08-29 | 法話

 

大永元年1521八月二十九日には後柏原天皇が宸筆で「真如堂縁起絵詞」をお書きになった日

 

後柏原天皇宸筆「真如堂縁起絵詞一巻。真如堂極楽寺蔵」

「抑、本尊は慈覚大師の真作也。天長年中志賀郡苗鹿明神、神覚大師に対面有りて如法堂番神入衆望請ありける時、栢木柱一本彼明神より助成あり。此の木のもと切に毎夜光明を放つ間、大師恠給て打ちわりて見給ふに、一片は半座の佛體、一片は立像の尊形、木の目にあざやかに見ゆ。仍此の霊木を以て先の弥陀坐像一体、蓮華部印、造立し給て、大師随身奉持し給ひしが、後には日吉社念仏堂の本尊となり給ふ。今一片の木立像の形あるをば憶念したまふ事ありて其の時は造立し給はざりし也。」

(以下、宸翰英華の記事)「(洛東真如堂極楽寺は応仁の大乱に兵燹に罹り爾来乱を避けて近江穴太一條等に遷って居たが、文保三年六月その旧跡に帰り、直ちに伽藍の造営に着手し文亀三年に至って漸く本堂造畢の功を遂げた。然るに堂供養の資に乏しく諸方を勧進し大永元年八月二十九日に及んで供養の厳儀を遂行することができた。その日、天皇は勅使を派遣せられ、導師として兼ねて青蓮院入道尊鎮親王を勅請せられた。住持昭淳僧都は此の盛儀を永く記念する為に同寺の縁起を新作せんとし、詞を定法寺公助に草せしめ、絵を掃部助久國に畫かしめ、凡て三巻となし、上巻の詞書に宸筆を奉請し、中巻は伏見宮邦高親王と

導鎮親王の御筆を請ひ、下巻は三条西実隆と公助とに染筆せしめた。この縁起絵巻は同四年八月に至って完成したのである。猶題箋真如堂縁起絵巻上中下三巻いずれも宸筆である。)」

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