福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その50

2018-11-19 | 四国八十八所の霊験
62番宝寿寺は61番から1kmすこしのところです。荷物を61番に預けて身軽になりおまいりに行きます。



寺は伊予小松町の中心にあります。
 当初は聖武天皇の勅願により伊予一宮として中山川下流の白坪に建立されたといいます。金光明最勝王経を奉納、僧道慈を任じて講読させたとされます。その後お大師様が光明皇后にかたどって十一面観世音を彫刻して本尊とし、寺号を宝寿寺とされました。そのころの国司越智夫人は難産で大師に祈祷を乞われ、大師は境内の玉ノ井の水を加持して夫人に与えられ夫人は若君を安産し、「さみだれのあとに出でたる玉ノ井は、白坪なるや一ノ宮かな」と詠じられたといいます。それ以来安産の観世音として信仰をあつめていましたが洪水等のため荒廃していたところ、寛永年間に一柳氏が現在地近くに移建し、寛永十三年(一六四二年)四国遍路行者宥信上人が一宮と一体で再興したといいます。澄禅「四国遍路日記」にも「一の宮、一町半、田の中に立ち給へり。地形あまりに厳しくて洪水の時あしきゆえ、南の山に度々移したてまつりしかども、元の地に安座さるべきよし度々託宣有る故、此の所に御座となり。本地十一面観音なり。それより川を渡って一本松といふ村を過ぎて新屋敷といふところに在の社僧天養山保寿寺あり、寺主は高野山にて数年學せられたる僧なり」とあります。一宮神社は、旧新屋敷村鎮守の小さな社で駅をはさんで北側に鎮座されています。先に述べた聖武天皇の勅願所としての伊予一宮は本来は大三島の大山祇神社であり、札所としては55番南光坊(旧札所は別宮大山祇神社)ということになりますが、伊予各地には大山祇神社からの勧請で、一宮神社とも称するところが多いとされます。ここもういういきさつだと推察します。17世紀の真念「四国徧禮道指南」にも「六十二番一宮」とあります。いまでも御詠歌は「さみだれの あとにいでたる たまのいは しらつぼなるや いちのみやかな」とあり一宮が本来の札所であったことがわかります。25年にお参りした時はこの一の宮はさびれてお参りの人も見かけませんでした。最近では62番の宝寿寺も霊場会との中で揉めているとの話もあり昔のように寺社一体の62番にすればもっと発展するのにと思いました。

明治に入って62番は再度廃寺となりますが、同十年に大石龍遍上人が再建していています。大正十年予讃線開通のため現在地へ移転しました。

「ふらり巡礼」には62番宝寿寺副住職渡辺実明師のはなしがのっています。
「自分自身のなかの仏を見つける旅それが巡礼だ。寺を本当によくするのは観光収入をあげ境内を整備することではない。本当のお遍路さんに来てもらうことだ。」とおっしゃっています。当時は優れたご住職もいらっしゃったのです。

平成21年には親子三人でここもお参りしました。いい思い出が出来た寺でもあります。22年、23年頃にはここの向かいにある遍路宿に何度か泊まっています。
24年には60番横峰寺から雨の中を歩いて降り、這うようにしてここにたどり着いたことがあります。
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