「・・・私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家として働きはじめたあとのことだった。・・
浄土は極楽ではない。地獄・極楽とは人が生きている日々の世界そのもののことだろう。「地獄は一定」という「歎異抄」の中に出てくる有名な言葉を、死んだらまちがいなく地獄へ落ちるこの身、という読みとりかたは私はしたくない。「一定」とは、いま、たしかにここにある現実のことと読む。
しかし、その地獄のなかで、私たちはときとして思いがけない小さな歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある。人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。その一瞬を極楽というのだ。極楽はあの世にあるのでもなく、天国や西方浄土にあるのでもない。この世の地獄のただなかにこそあるのだ。極楽とは地獄というこの世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。
「地獄は一定」
そう覚悟をしてしまえば、思いがけない明るい気持ちが生まれてくるときもあるはずだ。それまでのたうちまわって苦しんでいた自分が、滑稽に、子供っぽく思えてくる場合もあるだろう。 ・・」
大河の一滴(五木寛之)より