今日は後花園天皇が大覚寺に勅封心経として残っている般若心経を書かれた日です。続史愚抄に「寛正二年1461三月二十八日、この月天下疫鐖。自ら般若心経を写経し、三宝院義賢僧正に供養さす」とありこれが大覚寺に勅封心経として残っています。
(後花園天皇は
伏見宮貞成親王(後崇光院)の第一皇子。称光天皇に嗣子がなかったので、室町幕府が支持して後小松上皇の猶子として践祚、翌年即位、第102代。。和歌・管弦をよくし、歌集に「御製和歌集」がある。
英邁な天皇であらせられたようで、「無題 (『賜足利義政』とも)」と題する詩があります。
「殘民 爭ひ採る 首陽の薇。處處 廬を閉ぢ竹扉を鎖す。詩興 吟は酸なり 春二月。滿城の紅綠 誰が爲にか 肥ゆ」。
これは、後花園天皇が足利義政を諫めたもの。義政は、長禄・寛正の飢饉に際しても、「花の御所」を修築する等、奢侈に耽る生活を続けたことに対する後花園天皇の戒めの詩。義政はこれを拝して大いに恥じ入り、御所の造営を中止しています。(『長禄寛正記』)