角田さんにお願いして先日の護国寺参拝記の続編を書いていただきました。
「19日、護国寺に向かう地下鉄の電車の中で、ドア付近の床に、名刺入れ大の布でできた黒く使い込まれたものが落ちていました。電車が停発車するたびに、乗降客は皆一様に、この使い込まれたぼろぼろのものに注意を払い、覗いてみるのですが、「ああ、ゴミか?」という感じで一瞥するのみで通り過ぎます。中には一蹴する人もいます。
誰もが、関心を寄せなくなったころ、私は、そうです、講元様のゴミ拾いの姿を思い出し意を決して、席を立ち「ゴミ」を拾いに行きました。多くの乗客の「この人何するの?」という好奇心に満ちた視線が、私の背中に突き刺さってくるのが判ります。
拾い上げ、中を見ると、何とさんざん靴に踏まれたものは、「定期入れ」でした。パスモ、運転免許証、大学の学生証が入っているではありませんか。
ドア付近でスマホに熱中している若者がいます。此の若者は先ほど通路を挟んで、真向いの席に座っていたのですがスマホ操作に熱中する余り立ち上がってドア付近まで来ていたのです。
念のためこの若者に定期入れを見せると、「ああ!!落とした定期入れだ」と一瞬顔が真っ青になりました。が、すぐに「見つかってよかった」と安堵の表情になりました。高原講元様の薫陶を受けていなかったら
こうした事は出来なかったに違いないと思った次第です。
角田 光一郎」
(私などではなく角田さん自らお持ちの福分のなせるわざと思います。高原)