崇光天皇御願文に「 敬白 伊勢太神宮 立願の事
右心中の祈請成就の為、奉納する所の仏舎利一粒なり。即ち是 髻中の寶杲、身内の極秘なり。尊廟哀愍納受、須らく悉地円満ならしめ給へ。仍って立願すること件の如し。
永和二年十一月十一日 太上天皇 興仁敬白」
永和二年(北朝の年号)は1376年。この時代の天皇は、北朝方が後円融天皇。南朝方が長慶天皇。室町幕府将軍は足利義満。
このころは鹿児島の島津氏が南朝についたり、同じ北朝の後円融天皇の御乱心が続いたりで上皇もお心安らかではなかったと思われます。
崇光天皇は北朝第3代天皇(在位:1348年11月18日〈貞和4年10月27日〉-1351年11月26日〈観応3年11月7日〉)。諱は益仁(ますひと)、後に興仁(おきひと)。
今日の皇室と旧皇族11宮家(1947年〈昭和22年〉に皇籍離脱)の共通の先祖たる天皇。
それにしても伊勢神宮に仏舎利を奉納とは明治の神仏分離の悪弊になれた現代人は想像もできないでしょうが当時は上皇が祈願のためになさるほど当然だったのでしょう。
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 9ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 3年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前