福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国88カ所遍路の旅~その十~

2016-04-30 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
四国88カ所遍路の旅その10

愛媛県の51番札所石手寺から、52番札所太山寺、53番札所円明寺で、松山市にある札所を打ち終え、次の札所54番延命寺まで 瀬戸内海沿いにバスは走る。バスの中では巡礼仲間がすっかりうち解けて、四国以外の札所巡礼の話し等で盛り上がる。

瀬戸内海沿いの景色は、連なる島が海に包まれている。海の青さが窓を通して体を染める。 太陽の糸に絡まりながら光る打ち寄せる白い波。来島海峡の先に見える大島。海を眺めていると、大島にかつて勇壮な「村上水軍」 の本拠地があったと思えない穏やかさだ。又大島は「島四国」で有名。

<村上水軍>大島の宮窪地域は、中世に瀬戸内海で活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおいたところ。

<島四国>大島に住んでいた玄得は、幼少の頃出家し仏門に入った。成人になった頃、家業の医師を継ぐことになり還俗。後年、そのことを悔いて、四国霊場(本四国)を何度も巡拝し、その地形を模して島四国を開創。1810年准四国八十八ヶ所霊場の称号と仁和寺紋章の使用が許され島四国は民衆が自由に参拝できる巡礼地となった。

バスは「夢千代日記」「花へんろ」などの 遍路道の商家で生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した早坂暁の出身地「北条」を過ぎる。53番札所円明寺から次の54番札所までは34.4キロもあり、歩き遍路だと、一泊か2泊の遍路道。しかしバスはすでに松山市から今治市に入り、通り沿いに見える建物は殆どが「瓦屋」の菊間の町を行く。どの屋根も凝った作りの瓦、これほど種類の多い瓦を見たのは初めて。ここは「菊間瓦」で有名という。

更に瀬戸内海沿いの196号線を大西方面へ。途中右折して県道38号線を暫く進んで、54番札所延命寺につく。 山門は、落ち着いた趣のある古びた総けやき造り。今治城の城門として使われていたものを、取り壊しの際に、延命寺が譲り受けたという。

   

54番札所近見山延命寺
本 尊: 不動明王(伝行基菩薩作)
開 基: 行基菩薩
創 建: 養老4年(720)

寺名は、明治維新まで近見山不動院円明寺と称したが、第53番円明寺と紛らわしいため「延命寺」と改号したという。往時は現在地から西の近見山頂にあったので「近見山」が山号になっている。山門をくぐり左手に納経所、正面に本堂。本堂左手の石段を上がると大師堂。 本堂、大師堂で納経。

   

境内の右手には、梵鐘「近見三郎」という人の名前の付いた鐘、左手には梵鐘「近見二郎」(市・文化財)がある。「近見二郎」は、年1回の除夜の鐘の時のみで、日頃は「近見三郎」が使われている。この鐘の近くに、農民の窮乏を救うために年貢米を軽くすることを代官に直訴した土地の庄屋、越智孫兵衛の墓がある。越智孫兵衛の墓に手を合わせながら、思い出す言葉がある。

「仏法は自分の外にあるものではなく、中にあるものである。迷いは自分が迷っているにすぎないのであるから、人々のために尽くそうという気持ちをおこしさえすれば自分の中の仏性が出てきてそのまま仏になる。悟りも迷いもじぶんの中にあるものだから、仏様の教えに従いほんのちょっとみかたをかえ自分をなくすことさえできれば、その瞬間に間髪をいれずそのまま仏になっている」この言葉は、福聚講講元・高原耕昇師がお大師様の般若心経秘鍵の一部の要約として「四国88カ所の霊験」・高原耕昇著、に記している。

境内には馬酔木の木が多く、かわいい白い花を沢山つけていて清楚な明るさを醸し出していた。春の日差しは、全ての物に分け隔て無く降り注ぎ暖かい。ありがたいことである。
                                                                                  つづく k&k
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