四国88カ所お遍路の旅その15~第81番札所 綾松山 洞林院 白峯寺~
本 尊: 千手観世音菩薩
開 基: 弘法大師、智証大師
創 建: 弘仁6年(815)
香川県の霊峯五色台は、標高500メートルの台地で、東西、南北ともに約8キロ、面積は50平方キロあり、瀬戸内海国立公園の中心部に突き出している。白峯寺は青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、最も西よりの白峯(標高377m)にある静かな古刹、保元の乱で讃岐に配流になつた崇徳天皇ゆかりの寺。弘法大師が宝珠を埋めて霊場と定め、のちに、智証大師が、瀬戸内海を漂っていた霊木で千手観世音菩薩を刻み、本尊として安置したという。
駐車場からすぐに、「 七棟門…正面から見ると5つの棟しか見えないが、裏側に2棟ある」、大変珍しい高麗式の山門を潜ると真正面に納経所をかねた護摩堂。左手に歩いてすぐの 100段の石段を上ると正面に本堂。本堂の右に大師堂。本堂、大師堂ともに白地に菊の紋章が染め抜いてある 幔幕が、落ち着いたお寺の佇まいを醸し出している。寺の背後には多くの木々が、優しい風に光って揺れている。本堂、大師堂で納経。
本堂の左手には阿弥陀三尊の後方に阿弥陀如来小像が並んでいる千体阿弥陀堂がある。境内には、ほかに役の行者堂、薬師堂などが建っている。石段の下には、勅額門が在り、門の中には、 父・後鳥羽天皇に疎まれ、弟・後白河天皇に讃岐へ流された悲運の崇徳天皇を祀る頓証寺殿、勅額門の左手、巨大な杉木立の中の小路を100メートルほど言った右手に、崇徳天皇の御廟がある。
1156年、鳥羽法皇が亡くなると共に、崇徳上皇と後白河天皇の争いと摂関家の内部抗争がむすびついて保元の乱が起こった。この保元の乱は、夜襲により後白河天皇側の勝利となり、崇徳上皇は、長年の恨みを晴らすことなく敗退し、讃岐に流された。配流先の讃岐で崩御した崇徳上皇は、ここで荼毘に付され、白峯寺の裏山に葬られた。これが白峰御陵である。
勅額門の近くに、玉章木(たまずさのき)がある。ケヤキの老樹で、木の葉は珍しく巻いている。 崇徳上皇の句に「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」とあり、ここを過ぎるホトトギスたちは、上皇の心を察して、巻いた木の葉の中にくちばしを入れ、鳴き声が漏れないようにしたという悲しい話を秘めている。
後年この地を訪れた西行法師が、崇徳上皇の霊と対面したという鬼気迫る話は、「雨月物語」の第一話に書かれている。かつて「雨月物語」を読んだとき、崇徳上皇の悲運が、深く心に残った。幼いときから父親に愛されず、不遇の時代が長い崇徳上皇が、讃岐に流されたことは、悲しい過酷な運命だったかと思う。巡礼で、私たちとはまったく違う時代を生きた、崇徳上皇の白峰御陵を訪れたことは、不思議なご縁と思われる。巡礼に来なければ、たぶん手を合わせることも無かった御陵に、手を合わせながら、目に見えない力に引き寄せられて、ここまでこられたことに感謝。
つづく K&K