福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

戊戌初詣で〜西国三十三カ所十五、十六、十七、十八、十九番参拝記

2018-01-26 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
戊戌初詣で〜西国三十三カ所十五、十六、十七、十八、十九番参拝記

1月6日、早朝の奈良を出発し、京都市内へ向かいます。今日は西国33カ所の15番から19番までを一気に回る予定です。ホテルを7時前にチェックアウトして、まずJR奈良駅へ。すぐに、奈良駅から京都行きの各駅停車に乗って、京都駅の1つ手前の東福寺駅駅で降りて、最初の目的地15番の新那智山今熊野観音寺を目指します。
電車は宇治を過ぎ京都駅に近づくにつれて、学生さんで込み合ってきました。センター試験まで1週間、お正月返上で受験勉強をしているのでしょうか。奈良でお参りしたお寺の絵馬にも合格祈願が多くあったことを思い出しました。

東福寺駅は、駅名のとおり臨済宗の古刹で広大な伽藍を持つ東福寺の最寄り駅です。せっかくなので東福寺も参拝できたらと一瞬思いましたが、今日の目的地は今熊野観音、ともかく泉涌寺道を目指して進みました。冬の日の朝の8時半ということもあり、泉涌寺道には参拝客らしい人影はありませんでした。人家の間の緩やかな車道の坂道を歩くこと20分、次第に人家が途絶え林の緑が濃くなってきました。
泉涌寺の門の手前で参道を左手に折れ今熊野に向かって緩やかに下る坂道をすすむと、今熊野川という小川にかかる赤い橋が見えてきます。この橋のたもとを右に進むと宮内庁の月輪陵監理事務所がおかれています。泉涌寺は「みてら(御寺)」とよばれる皇室ゆかりの寺院です。歴代の天皇の菩提寺でもあり、また泉涌寺の敷地内には月輪陵という江戸時代初期の後水尾天皇から孝明天皇まで歴代の天皇の陵墓があるということで、このような事務所が置かれているのです。橋を渡ると今熊野観音寺です。

橋を渡るといよいよ今熊野観音寺です。敷地に入るとまずはお大師様の像があります。ここのお大師さまは子護大師といわれる像で、お大師様の足にまとわりつくように3人の幼子の姿も銅像になっています。
縁起によれば、この今熊野観音は、お大師様が帰唐後、熊野権現のお導きで五智の井戸を探し当てたことから始まったそうです。今も境内でその五智の井戸から五智水が湧き続けています。
子護大師の周囲はお砂踏みになっており、ぐるりと大師像をまわっていよいよ本堂に向かいました。納経所は開いたばかりで、墨をすり始めたところでした。納経帳をお渡しし参拝後に受け取ることにして、ご本尊の十一面観音さまの正面に正座し、般若心経と観音経をお唱えし、ご本尊のご真言をお唱えしました。朝一番で私以外の参拝者はおらず、一人静かに本堂でお参りさせていただくことができました。
この今熊野は頭痛が治るとの霊験があるそうで、授与所には枕カバーが売られていました。また、ボケ封じ三十三観音霊場の一番札所でもあるそうで、境内にはボケ封じ観音の名のついた菩薩像もありました。

お参りを終えて、再び来た道を戻ります。ここまできたので、泉涌寺にはぜひお参りしたいと想い、泉涌寺入り口に向かいました。今熊野からは数分歩けば泉涌寺です。静謐な境内に入ると、最初に楊貴妃観音をおまつりしたお堂がありました。楊貴妃を模したとされる観音像はきらびやかな装飾がほどこされたとても美しい観音様です。楊貴妃だけに美人祈願の小札お守りもありました。様々な祈願があるものです。お堂の隣には宝物館もあり、泉涌寺由来の仏画や日本画の展示が拝見できます。
宝物殿を覗いた後は、いよいよ泉涌寺の中心、仏殿にお参りします。禅宗様の造りの仏殿には、お釈迦様、阿弥陀様、弥勒様の像が安置されています。過去、現在、未来を表した仏様が、土間と高い天井のほの暗い仏殿に静かに座っていらっしゃいました。そこは、過去現在未来が同時に存在するかのようで、時計の針が止まったような不思議な感覚が生じる空間でした。
仏殿を出て、御座所を拝観しました。御座所は天皇陛下を始め皇族の皆さまが泉涌寺にいらしたときに休憩をおとりになるお部屋が用意されています。天皇陛下がお使いになる玉座の間も拝見することができました。玉座からは見事に整えられた庭園が見渡せます。そのお庭は、この真冬にあってもたいへん立派に見えました。紅葉の頃の美しさは格別でしょう。椅子のような室内の調度品にも菊の御紋がついており、実際に皇族方がお越しになった際の写真もたくさん飾ってありました。

泉涌寺の拝観を終えたら、すぐに清水寺に向かうつもりでいたのですが、今熊野観音に向かう途中の泉涌寺道沿いの泉涌寺の山内寺院である戒光寺と即成院もなんとなく心惹かれ、立ち寄ってみることにしました。
戒光寺には「京都大仏」の名を持つ5メートルを超えるお釈迦様の立像があり、即成院には「現世極楽浄土」を表す阿弥陀如来と二十五菩薩像があります。
どちらも見事な仏様で、まさに一見の価値有りです。お参りできて大変ありがたく思いました。

即成院を出て東大路通りの今熊野バス停からバスに乗りました。十六番札所の清水寺の入り口の五条坂バス停でおります。茶わん坂と呼ばれる急な坂を登って清水寺を目指します。茶わん坂は、道の両側に清水焼のお店が多くまっているエリアです。清水寺に向かうルートは二年坂が有名ですが、こちらの茶わん坂にもたくさんの観光客が歩いています。半数は外国からの観光客のようです。
坂の傾斜がいよいよ急勾配になり、目線を真上に向けると清水寺の境内が見えてきました。山門をくぐり拝観料を払うと、まるで吸い込まれるように清水舞台で有名な本堂に人々が向かっています。
その様子を見ていると、清水寺のご本尊の観音力の尋常ではない強力さを感じます。八万四千の衆生が観音様を頼んで押し寄せているのです。私もその衆生の一人であることをつくづくと感じます。ご本尊は千手観音で秘仏とされ、ご開帳は33年に1度だそうです。一度は拝ませていただきたいものだと思いました。
清水の舞台のある本堂は大勢の人でごった返しています。ご本尊に手を合わせるのも周りの人の流れに注意しながらで、ゆっくり拝ませていただくことはなかなか難しいです。本堂を出てすぐ北には地主(じしゅ)神社があります。ここは縁結びの神様として有名なところで、若い人たちに大変人気があるようです。若い女性やカップルが列を為してお参りしています。
地主神社を横目にして通り過ぎ、納経所の列に並び御朱印をいただき、続いて法然上人ゆかりの阿弥陀堂、そして奥の院に向にお参りしました。奥の院まで来ると少し人が少ない気がしましたが、奥の院から真下の音羽の滝に下がると、また長い行列ができていました。
音羽の滝を過ぎて、山門に向かう途中で、一息入れるようと茶店で甘酒をいただきました。ここにも海外からの観光客がいます。見た目には日本人にそっくりですが、中国語でもハングルでもない言語が聞こえました。ほんとうにあらゆる国の人がいらしています。甘酒で身体もあたたまり、門前町を通り、松原通を下って17番札所の六波羅蜜寺に向かいます。
門前町は大変な人の多さでした。松原通を行けば、清水寺から六波羅蜜寺までは歩いて15分ほどの距離です。東大路を横断して松原通りを行くと、六波羅蜜寺の手前に六道珍皇寺があります。六道珍皇寺は、小野篁(おののたかむら)の冥途通いの井戸で有名なお寺です。昼間は朝廷に出仕し、夜になると閻魔王宮に通ったという伝説のある小野篁は、武芸も学問も優れた人物でしたが、同時に「野狂」という異名をとるほど変わった人物であったようです。六道珍皇寺は人影もまばらでひっそりとした印象を与えるお寺でした。ここは、8月の六道参りというお盆のお迎えのころには多くの参詣者を集めるようです。冥途への出入り口があるとされるだけに、精霊をお迎えするにはうってつけなのでしょう。
松原通を西に向かって数分行き、左手に折れると六波羅蜜寺です。民家が立て込んだ地域にあり、そう広くない境内にはたくさんの参拝者がいます。観光バスツアーの団体のようです。七福神めぐりのツアーらしく、同じ色紙を持って弁財天さまの御朱印に列を作っています。本堂と弁天堂は鮮やかな朱塗りの柱と白壁で、明るさが印象的です。ご本尊の十一面観音様、弁財天様、お不動様、そして聖天様など庶民的な仏様が多くおまつりされている六波羅蜜寺は空也上人が開山で、創建当時から庶民の救済に尽くされた寺院であったことが感じとれました。七福神巡りの賑わいもその一端を垣間見たような気がしました。宝物殿には有名な空也上人の木造などの寺宝があるそうですが、今回は時間切れで拝見することができませんでした。次回はゆっくり拝見したいと思いました。時間が経つにつれて境内は増々七福神巡りの人で混んできました。ゆっくりと拝ませていただくのも難しそうなので、ご本尊にお参りして御朱印をいただいたら、すぐに次の札所18番の六角堂を目指しました。

六角堂まではバスと徒歩で向かいました。市バスの1日乗車券を使います。六角堂は正式には頂法寺といいます。華道の池坊の発祥地ということです。ご本尊は如意輪観音様、女性に好まれそうなお寺です。ここも六波羅蜜寺と同じく街中にあるお寺で、周囲をビルや民家に囲まれています。そのような中にこうした歴史のある寺院が存在しているのが、京都の魅力です。また道をあるけば、そこら中に小さなお地蔵様や祠のようなものがあり、お線香やお花が手向けられていてお線香の香りが漂ってきます。商店街の片隅のお地蔵様を通り過ぎるとお線香の香りがある、そういうことが当たり前にあることが羨ましいと思いました。
六角堂は聖徳太子が創建されたという言い伝えがあり、聖徳太子を信仰した親鸞上人が参籠したとされています。境内にはそれにちなんで太子堂や親鸞堂もありました。本堂でお参りを済ませた後、納経所で御朱印をいただき六角堂を出ました。

そうして、いよいよこの日の最後の十九番札所の行願寺に向かいます。六角堂からは徒歩で20分ほどです。行願寺の通称は革堂(こうどう)だそうです。珍しい通称だと思いながら調べると、開山の行円上人が出家前に猟師であり、鹿の革を身につけていたことから由来しているそうです。このお寺も民家や商店のひしめく街中にあり、民家に挟まれた山門だけが道路に面しています。山門をくぐって奥に進むと立派な本堂があり、そこには行円上人の作と言われる千手観音がご本尊としてまつられています。ご本尊は秘仏ですので、直接拝ませていただくことはできませんでしたが、落ち着いた佇まいと庶民の信仰が重なった独特の雰囲気のあるお寺でした。境内には豊臣秀吉にゆかりの寿老人堂がある。この寿老人も、六波羅蜜寺の弁財天と同じ京都七福神巡りに組み込まれているそうですが、時間も遅くなっていたせいか六波羅蜜寺の人の多さとは比べ物にならないほど閑散としていました。
本堂にお参りして御朱印をいただいた後、祇園を経由して京都駅に向かい、新幹線で東京に戻りました。
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