四国88カ所お遍路の旅その16
第84番札所 南面山 千光院 屋島寺
本 尊: 十一面千手観世音菩薩
開 基: 鑑真和上
創 建: 天平勝宝年間(749〜756)
国道11号線を徳島方向へ向かうと屋根のような形からその名がついた屋島が見える。
「 源平合戦の舞台」屋島は、高松市の観光名所の一つ。瀬戸内海に突き出た火山台地。那須与一の扇の的などで有名な古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。
鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ五度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、苦難のすえ鹿児島に漂着。翌年、東大寺に船で向かう途中、山頂から立ちのぼる瑞光を感知、北嶺に普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建。のち恵雲律師が堂塔を建立。「屋島寺」とし初代住職に。815年に弘法大師は、北の峯にあった堂塔を、南の峯に移し、十一面観音菩薩像を刻んで本尊とし、札所に定めた。
私たち巡礼一行を乗せたバスは、麓から屋島ドライブウエイを登り、屋島寺の駐車場に。駐車場とは反対側、本来の正面には山門、そして山門と本堂の間には四天門、正面に見える本堂まで、何段かの石段を超えて歩く。朱塗りの色が残る本堂は、本瓦葺きの青い屋根との対比が明るい。現在の本堂は室町初期に建てられていて、国の重要文化財に指定されている。厨子の中に安置されている十一面千手観音菩薩も重文。
本堂の右手に、鎮守の蓑山大明神。四国狸の総大将でその名も太三郎狸と呼ばれる氏神で子宝や縁結び、家庭円満のご利益があるという。更に右手に大師堂。本堂、大師堂で納経。読経の声は、風に乗って空に溶けていく。青い空を背景に新緑が光る平和な境内。ゆったりと浮かんだ雲は、かつて、ここで激しい戦いがあったことを知らぬげに静かに流れている。平家物語の冒頭部分が脳裏に響く。
‥‥‥‥祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす‥‥‥‥
本堂近くに宝物館があり、源平合戦にまつわる品々が沢山収められている。境内奥には、「雪の庭」と呼ばれる、真っ白な凝灰岩が一面に広がった庭等、故事来歴を持つ史跡が多い。
お遍路で出会った屋島寺は、源平の戦いを思い起こし、子供の頃読んだ絵本「那須与一」の色刷りの武者姿を目の前に描き出し、心に残る出会いのお寺であった。
那須与一…屋島の戦いの最中夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと手招き。外せば源氏の名折れ。義経は畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに那須与一に。与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、扇は空を舞い上がった。~出典『平家物語の「扇の的」』~
古典文学等を通して親しい屋島寺。現代では、もはや縁遠い。しかし巡礼のお陰で、ここまでこられて、歴史の舞台を直接見ることの出来たことは嬉しいお陰。歴史を見てきたものは悠久の自然。自然に今日まで生かされて来たことに感謝。春が山を蘇らせるように、全てを蘇らせる仏様に感謝。 ~つづく~ K&K
第84番札所 南面山 千光院 屋島寺
本 尊: 十一面千手観世音菩薩
開 基: 鑑真和上
創 建: 天平勝宝年間(749〜756)
国道11号線を徳島方向へ向かうと屋根のような形からその名がついた屋島が見える。
「 源平合戦の舞台」屋島は、高松市の観光名所の一つ。瀬戸内海に突き出た火山台地。那須与一の扇の的などで有名な古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。
鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ五度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、苦難のすえ鹿児島に漂着。翌年、東大寺に船で向かう途中、山頂から立ちのぼる瑞光を感知、北嶺に普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建。のち恵雲律師が堂塔を建立。「屋島寺」とし初代住職に。815年に弘法大師は、北の峯にあった堂塔を、南の峯に移し、十一面観音菩薩像を刻んで本尊とし、札所に定めた。
私たち巡礼一行を乗せたバスは、麓から屋島ドライブウエイを登り、屋島寺の駐車場に。駐車場とは反対側、本来の正面には山門、そして山門と本堂の間には四天門、正面に見える本堂まで、何段かの石段を超えて歩く。朱塗りの色が残る本堂は、本瓦葺きの青い屋根との対比が明るい。現在の本堂は室町初期に建てられていて、国の重要文化財に指定されている。厨子の中に安置されている十一面千手観音菩薩も重文。
本堂の右手に、鎮守の蓑山大明神。四国狸の総大将でその名も太三郎狸と呼ばれる氏神で子宝や縁結び、家庭円満のご利益があるという。更に右手に大師堂。本堂、大師堂で納経。読経の声は、風に乗って空に溶けていく。青い空を背景に新緑が光る平和な境内。ゆったりと浮かんだ雲は、かつて、ここで激しい戦いがあったことを知らぬげに静かに流れている。平家物語の冒頭部分が脳裏に響く。
‥‥‥‥祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす‥‥‥‥
本堂近くに宝物館があり、源平合戦にまつわる品々が沢山収められている。境内奥には、「雪の庭」と呼ばれる、真っ白な凝灰岩が一面に広がった庭等、故事来歴を持つ史跡が多い。
お遍路で出会った屋島寺は、源平の戦いを思い起こし、子供の頃読んだ絵本「那須与一」の色刷りの武者姿を目の前に描き出し、心に残る出会いのお寺であった。
那須与一…屋島の戦いの最中夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと手招き。外せば源氏の名折れ。義経は畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに那須与一に。与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、扇は空を舞い上がった。~出典『平家物語の「扇の的」』~
古典文学等を通して親しい屋島寺。現代では、もはや縁遠い。しかし巡礼のお陰で、ここまでこられて、歴史の舞台を直接見ることの出来たことは嬉しいお陰。歴史を見てきたものは悠久の自然。自然に今日まで生かされて来たことに感謝。春が山を蘇らせるように、全てを蘇らせる仏様に感謝。 ~つづく~ K&K