福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

戊戌初詣で〜浄瑠璃寺・岩船寺参拝記

2018-01-13 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
奈良長谷寺・室生寺を詣でた翌日の1月5日、念願だった京都木津の浄瑠璃寺へお参りすることができました。

1月5日、曇の朝、7時過ぎ、JR奈良駅前からバスに乗り、春日大社参道入り口でおりました。参道を歩き始めると出会うのは鹿ばかりです。人気のほとんどない参道には朝の清新な空気が満ちて、なんとも心地よいものでした。その空気を存分に味わいながら長い参道を進みます。本殿につくと、お正月の名残で本殿に向かって大きな白布がゆったりと張られています。何だろうと思いましたが、お賽銭を受けとめるものだとわかり、この白布が必要なほどの参拝者がいらっしゃるのだとあらためて驚きました。お社の朱塗りの色も鮮やかで、白布とのコントラストに目が覚めるようです。本殿に続く廊下では白い作務衣を着た方が参拝をしていらっしゃいました、きっと職員の方なのでしょう。朝の静寂の中に柏手の音が響き、こちらの気持ちも引き締まります。本殿に向かって礼拝を終えてから、個性的なデザインの守り袋が目を引くお守りが多く用意されている授与所によりました。早朝6時半から参拝できる春日大社なので、この時間から授与所も開いていました。

本殿を出ると、南側の紀伊神社方面へ回りました。このエリアでは「若宮15社めぐり」が行われているので、この日の朝も15社めぐりをする方の姿がありました。姿勢をただして頭を下げ柏手を打つ様子に、祈る心はいつの時代の人も同じなのだとわかります。一番奥にある紀伊神社を参拝し、バスで再び奈良駅へ戻りました。9時4分発の浄瑠璃寺行きの急行バスに乗ることを予定していたので、急いで駅の反対側のバス乗り場へ向かいます。

急行バスは市街地を通り抜け、枯田の中を走り、山の腹を縫うように坂を登り、出発して30分ほどで浄瑠璃寺に到着しました。降り立ってみるとまさに山里という言葉にふさわしいのどかな景色です。バス停の脇には陶器がずらりと並んだ時代劇に出てきそうな土産物屋があります。土産物屋を背にして進むと、左右に低い竹垣が置かれた細い道があります。まっすぐな道の先には小さな門が見えます。門の奥が浄瑠璃寺です。この時は、門の先にあのような極楽浄土が待っているとは全く想像だにしませんでした。しかし、その細い道にただよう雰囲気はこれまで感じたことの無い、なんとも穏やかでそれでいて引き込まれるような特別なものでした。

何かに誘われるように門をくぐると、正面の宝池が目に飛び込んできます。池に浮かぶ小島には弁財天がおまつりされているようです。この池は、阿の字をかたどり、池の東側に薬師如来のある三重塔、反対の西側に阿弥陀如来の九品仏のある本堂と配置されており、平安時代に起源を持つ浄土式の庭園です。浄土式庭園は、宇治の平等院や奥州平泉の毛越寺などで有名ですが、この浄瑠璃寺が特筆して素晴らしいのは、池だけでなく東西に配置された三重塔と本堂も含めて、当時のものがそのまま残っている点です。平安時代そのままの庭、建物、仏像までもが今も残っていることは、奇跡としか言いようのないことで、まるで夢の中に迷い込んだような感覚です。当然のことながら、三重塔と本堂は国宝に指定されています。

この三重塔の桧皮ぶきの屋根は、これまで私が見たことのあるどの宝塔よりも優美でした。ゆるやかに反った屋根のバランスが絶妙なのです。三重塔内には秘仏の薬師如来があり、毎月8日のお薬師様の日には開扉されるそうです(ただし、好天の日のみとのこと)。この優美な屋根の下で仏様はどのようなお気持ちでいらっしゃるのだろうかと、お尋ねしてみたくなります。
三重塔の正面には本堂があります。本堂の拝観は10時からです。宝池をぐるりと回って三重塔を拝み、本堂にたどり着くとちょうど10時です。今回の浄瑠璃寺参拝の私の最大の目的は、本堂にいらっしゃる吉祥天女立像をお参りすることです。この吉祥天女も秘仏で、開扉期間が限定されています。開扉期間は、1/1~1/15、3/21~5/20、10/1~11/30 とされています。今回はこの開扉期間にあたり、長年の念願であった吉祥天女を直接拝ませていただくことができるのです。本堂の入り口で受付をすませ、ワクワクする気持ち、逸る気持ちをを冷静に保たねばと言い聞かせて、北から南へ回廊をすすみ、南側の入り口から本堂に入りました。

ほの暗い本堂に入って思わず息をのみました。左側に9体もの金色に輝く阿弥陀仏が横並びにどっしりと座っていらっしゃいます。吉祥天女像のことで頭が一杯で、浄瑠璃寺にこれほど立派な九体仏がいらっしゃることに注目していなかったので、この阿弥陀仏の姿には本当に衝撃を受けました。この世を忘れるような、まさに仏様の世界に迷い込んだような不思議な空間です。その不思議な感覚がひたひたと心に満ちてくると、「極楽はここだ」というフレーズが私の眼前にくっきりと浮かびあがり、往事の人々がこの光り輝く阿弥陀仏に救いを求めた心情が、本当にうっすらとですが、わかるような気がしてきたのです。今思うと、自分が年を重ねたせいばかりではなく、この浄瑠璃寺の仏様が、凡夫である私に、まるでお年玉のようにありがたい示唆をくださったような気がしています。

9体の真ん中の阿弥陀様は左右の阿弥陀さまよりも一回り大きく、その左側におかれたお厨子の中に吉祥天女様がいらっしゃいます。憧れの吉祥天女さまにいよいよ対面できます。扉が開かれた厨子の中で、細やかな彫刻に鮮やかな彩色の衣装をまとった真っ白い肌の吉祥天女さま。衣装の細工は本当に見事で、厨子に書かれた絵も色鮮やかです。鎌倉時代の作といわれる仏像が、これほど綺麗に残っているのも大変に珍しいことではないでしょうか。作者不詳と言われていますが、快慶の作品ではないかという説もあるそうです。力強く立体的な表現が特徴の運慶に比して、快慶の作風は繊細で端正な絵画的といわれるそうですが、まさにこの吉祥天女のお姿は、繊細で優美な絵画を思わせます。絵画的とはいえ、その生き生きとしたお姿には生命力を感じさせるものがあり、豊穣で福々しく温かなめぐみを与えてくださる吉祥天さまの功徳が見事に表現されています。
土門拳は「日本一の美人」と評し、現代ではみうらじゅんが心の恋人といい、きっと鎌倉時代以来多くの男性からの憧憬を集めてきたであろう吉祥天女像は、それはそれは愛らしいそして優雅なお姿でした。もちろん、男性でなくともその美しいお姿には、惚れ惚れとしてしまいます。

ここで吉祥天女と九体仏を永遠に拝んでいたいような気持ちがします。しかし、本堂を出てバス停に向かわねばなりません。岩船寺へ行くバスの時間が迫っていました。山門の脇には灌頂堂があります。ここには、秘仏の大日如来がいらっしゃるそうです。(この仏様が拝見できるのは年に1度だそうで、1月8日から10日ということでした。)

10時44分発のコミュニティバスで岩船寺へ向かいました。岩船寺発11時30分のバスで浄瑠璃寺に戻り、浄瑠璃寺11時46分発の奈良駅行きのバスで戻る計画です。
岩船寺(がんせんじ)には、浄瑠璃寺の九体仏よりも古い時代につくられた阿弥陀仏が本尊として安置されています。3メートル弱の座像です。浄瑠璃寺よりもさらに山奥にあるこのお寺に、このような古い仏様がいらっしゃることに驚きました。しかも今も金色輝いています。また、境内にはお不動様の石室や十三重の石塔など鎌倉時代以前の信仰の形跡が今もしっかりと残っています。浄瑠璃寺や岩船寺があるこの地域には石仏や磨崖仏が多く残されており、ここが古くからの信仰や修行の地であったことがわかります。
本堂では、阿弥陀仏以外にも由緒ある仏像が多く安置されておりました。その中でも、白い象の上に普賢菩薩が乗った普賢菩薩騎象像が目を引きました。の仏像は平安時代のもので、普賢菩薩は女性の往生を説いた仏様ということから、当時の女性からの信仰を多く集めた仏像だそうです。
たいへん良いお声のご住職自らが、そのような説明をしてくださいました。岩船寺は浄瑠璃寺と同じく真言律宗のお寺ですが、このご住職は何年か前に後七日御修法に出られた真言律宗の阿闍梨様の伴僧を務められたそうで、深い修行をされている方なのだろうと思えました。
岩船寺は紫陽花寺としてよく知られたお寺だそうです。山深く濃い緑に囲まれたこの静かな境内が、たくさんの紫陽花で彩られた景観はさぞ美しいだろうと想像しながら、門を出ました。

時間通りにやってきたバスに乗り込み来た道をもどり、計画通りのバスで奈良駅に戻るとちょうどお昼時でした。まずは、駅ビルのうどん屋さんで昼食をとりました。午後は東大寺をお参りする計画をたてました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「虚空蔵菩薩能満諸願最勝秘... | トップ | お大師様のお言葉に見る「霊... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

講員の巡礼(お四国他)ほか投稿」カテゴリの最新記事