今日は雛祭りです。雛祭りの始まりは中国からの「曲水の宴」(注1)と古来日本の、「罪穢れを払う儀式」(注2)の一体化によるとされます(五來重「宗教歳時記」)
(注1)(「荊楚歳時記(6世紀)」に「三月三日、四民並びに江渚池沼の間に出で流杯曲水の飲を為す。」
隋代の杜公瞻の註に「今三月桃花水の下、招魂続魄するを以て歳穢を祓除すと。周礼に、女巫、祓除釁浴(きんよく「釁」は香料をからだに塗ること。「浴」は湯水でからだを洗う)すと。鄭注に云ふ、今、三月上巳、水の上の類なりと。司馬彪の礼儀志に曰く、三月上巳の日、官民幷に東流の水の上に禊祓すと。弥弥此の日を霊験あらしむるなり。」)
(注2)日本書紀には顕宗天皇の元年・二年・三年(485から486)にすでに上巳(三日)の曲水の宴が穢れを払う儀式としてあったとしている。私に思うに古事記のイザナミノミコトの禊以来日本には穢れを払う儀式が定着していたと考えられます。
参考1、日本ではすでに奈良時代に「節日」は定められていました。「凡そ正月一 日、七日、十六日、三月三日、五月五日、七月七日、十一月大嘗の日、皆節日と為す。其普く賜り、臨時に勅を聴く。」 (養老雑令四十諸節日条)。
参考2、源氏物語にでてくる雛祭
・「源氏物語・須磨の巻」「三月(やよい)の朔日(ついたち)に出で来たる巳の日、今日なむ、かく思す事ある人は、御禊(みそぎ)し給ふべきと、なまさかしき人の聞ゆれば、海面(うみつら)もゆかしうていで給ふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして。この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせ給う。舟に、ことごとしき人形ひとがたのせて流すを見給ふにも。『知らざりし大海の原に流れきて ひとからにやはものは悲しき』」
・「若紫」 の巻 に「いざ給へよ,をかしき絵など多く雛 あそびなどする所に」(光源氏が北山で若紫を見つけて連れ出すくだり)
「雛遊びにも絵書い給ふにも源氏の君と作り出でて清 らなる衣着せかしづき給ふ」(源氏と若紫がひいな遊びをする)
・「末摘花」 の巻 に「例のもろともに雛遊びし給ふ。絵など描きて,色 どり給ふ。ようつにをかうすさび散らし給ひけり。我 も描き添へ給ふ。髪いと長き女を描き給ひて,鼻に紅 をつけて見給ふに形に描きても見うきさました り。」
・「紅 葉 賀 」 の 巻 「いつしか 雛 お しす ゑ て,そ そ きゐ給 へ る。 三 尺 の 御 厨 子 一 具 に,品 々 しつ らひ す ゑ て,ま た 小 さ き屋 ど も作 り集 め て,た て まつ り給 へ る を,所 せ きま で遊 び ひ ろげ 給 へ り。」
・「蛍」の巻 に「まだいはけたる御 雛遊 びな どのけ はひの見 ゆれば,か の人のもろともに遊 びて過 ぐしし年月のまつ思ひ出でらるれば雛の殿の宮仕へ,いとよくしたまひてをりをりにうちしおれたまひけ り。」
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