善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)48
四十七番目、南方沃田城 堅固解脱長者
賢勝優婆夷は「南方に城あり、名けて沃田と為す。彼に長者あり、堅固解脱と名く。汝往きて問うべし・・」といい善財はすぐに沃田城に赴き長者の足を礼して囲繞し合掌恭敬してたずねたところ、堅固解脱長者は非常に短く以下のように答えます。要は何物にも捉われない清浄な悟りを得て十方諸仏に仕えている、とでもいうことでしょうか。
「善男子よ、我菩薩の解脱を得る。【無著清淨念】と名く。我自ら是の解脱を得て已來、發願充滿して十方佛の所において復た希求することなし。善男子よ、我唯だ此の淨念解脱を知るのみ。」といいます。ここも探玄記では「会縁入実相」とされまた探玄記には「この 『沃田」』を南天竺は水に近く下湿にして田稼はなはだ茂がゆえに以て名とす。・・所得の解脱において堅固安住するがゆえに堅固解脱といい、また一度得れば永く脱する故に堅固という」といっています。
「華厳五十五所絵巻」には会縁入実相の第六番目として「第六知識」と書かれています。
大学時代の下宿の先輩に経済学部から文学部に転じて倫理学を専攻していた人がいました。此の人は顎も張り四角い顔でみるからに頑固親爺という風貌でしたが大学院を卒業して地方国立大学の教授となり数年前に定年を迎えました。このかたの生き方を象徴する「『頭のよさ』と『心の善さ』」と題された定年退職記念講義には大勢の学生が聴講したようです。
四十七番目、南方沃田城 堅固解脱長者
賢勝優婆夷は「南方に城あり、名けて沃田と為す。彼に長者あり、堅固解脱と名く。汝往きて問うべし・・」といい善財はすぐに沃田城に赴き長者の足を礼して囲繞し合掌恭敬してたずねたところ、堅固解脱長者は非常に短く以下のように答えます。要は何物にも捉われない清浄な悟りを得て十方諸仏に仕えている、とでもいうことでしょうか。
「善男子よ、我菩薩の解脱を得る。【無著清淨念】と名く。我自ら是の解脱を得て已來、發願充滿して十方佛の所において復た希求することなし。善男子よ、我唯だ此の淨念解脱を知るのみ。」といいます。ここも探玄記では「会縁入実相」とされまた探玄記には「この 『沃田」』を南天竺は水に近く下湿にして田稼はなはだ茂がゆえに以て名とす。・・所得の解脱において堅固安住するがゆえに堅固解脱といい、また一度得れば永く脱する故に堅固という」といっています。
「華厳五十五所絵巻」には会縁入実相の第六番目として「第六知識」と書かれています。
大学時代の下宿の先輩に経済学部から文学部に転じて倫理学を専攻していた人がいました。此の人は顎も張り四角い顔でみるからに頑固親爺という風貌でしたが大学院を卒業して地方国立大学の教授となり数年前に定年を迎えました。このかたの生き方を象徴する「『頭のよさ』と『心の善さ』」と題された定年退職記念講義には大勢の学生が聴講したようです。