福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

浅野和三郎(東大英文学科卒。海軍機関学校教官)「幽魂問答」より・・1

2024-03-12 | 法話

浅野和三郎(東大英文学科卒。海軍機関学校教官)「幽魂問答」より

天保年間に書かれた福岡県志摩郡の神道家宮崎加賀守大門の手記で門外不出の家宝として同家に秘蔵されてあった記録を浅野和三郎が発掘したもの。
数百年以前に切腹した武士の霊魂が福岡県志摩郡久我村の酒造家岡崎家の若主人市治郎に憑依し、つぶさに当年の怨みを語り、又幽界の機微を漏らしたもの。原文を現代語に訳してかきます。神道家の宮崎加賀守大門が憑依霊に話しかけると霊は次のように語り始めます


「幽魂。まず初めに申し置くべき儀がある。それは顕界(この世)の事情を濫りに幽界(あの世)に漏らし難きと同じく、又幽界あの世の秘事を顕界この世には漏らし難し。幽界の事情は生前におもっていたのとは大変異なる。この事はあなた方も一且死なばすぐわかる。我は今幽中の者なれど、斯く人体に憑り居る間はあの世の事はいと微かなり。之と同じく人体を離れて帰幽せば人界の事は頗る微かにして、心を籠めし事ならでは、明かには知り難し。すべて人生に漏らし難き幽界の秘密、又人間の知りて却って害ある事は決して答ふることなければ、その心得もて問を発せられよ。
 (このように述べて威儀厳然として質問を待っている有様はとても病める市治郎(霊に憑依されている者の名前)とは思われず、あだかも傑れたる武士の座る心地して、看病人が湯など汲みて行くときも思わず平伏して捧げ、父も平素市治郎に対して使用しているような言葉は口に出なかったそうであります。)
宮崎。切腹の後は常に墓所にのみ居たるか。
幽魂。多くは墓所にのみ居りたり。切腹の砌は一応本国に帰りたれど、たよりとすべき地なく、帰心切なりしが故に忽ちに墓所(酒造家の岡崎家がこの切腹した武士の昔の墓地の上に建てられていた)に帰りたり。
岡崎。本国(切腹した武士は加賀の国の出身)に帰らるるには、いかにして行かれしぞ。
幽魂。飛行の法には種々あり。百里千里も瞬間に行くを得べし。されどその方法はいかに説くとて生者のよく理解し得る限りにあらず。汝も死せば忽ちその方法を覚るべし。
宮崎。本国に帰りし外、他所にも行きたることありや。
幽魂。七年以前に他所に行きて九ヶ月ほど滞在したれど、ただただ帰りたきまま還り来ぬ。
宮崎。その九ヶ月の間は、ただ一ヶ所におりたるか。
幽魂。九州に幽魂の集る所あり。
宮崎。九州外にもありや。
幽魂。何れの地にもあり。高山の頂点など幽静の浄地には集まること多けれど、その何地なりやはあからさまには告げ難し。(昔から恐山や月山、立山、熊野三山等は霊の集まる場所の代表とされてきています)宮崎。そこもとの行きしは何地なりしか。
幽魂。あからさまには告げ難けれど、おおよそは豊前国なる彦山ともいうべき地なり。
宮崎。いかなるいわれにてその地には赴かれしぞ。
幽魂。一人の武士の魂と一つになりて行きたり。
宮崎。一ツに成るとは形を一つになすことか。果してしからばその二人一体となるは如何なる幽理に由るものか。
幽魂。五十にても百にても、魂の一つに成る事は自在にて、集合して一体となりしものが、却って元の形よりも小くも成り得るなり。又一人の魂にても、怒る時は百の魂より太く成り得る場合もあり。かかる幽理は人智にては解し難ければ言わず。(靖国神社でも戦犯を合祀しているのを切り離せという乱暴な議論がありますが、これをきくと一旦合祀された魂をこの世の人間が勝手に分離っせるということはできないとわかります。)
宮崎。一人の武士と一つに成りて行きたりと言われしが、その武士は如何なる人ぞ。
幽魂。生前九州に来りし時、豊前国小倉に九十余日滞在せし事ありしが、その時件の武士と兄弟の如く交わりたり。この人予と別れたる後、猟に行きて山中に死し、その魂久しく死所の附近に留まりしが、ある時予はその魂とめぐり合い、誘わるるまま山中に同行せり。されどそこはわが心に染まぬのみならず、我身切腹して死したる故にや、人並みの場所には居苦しく、わずかに九ヶ月程にて辞し去りぬ。・・


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