福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講今日の言葉

2013-09-26 | 法話
「癌宣告を受けた時、自分のような不摂生をしてきたものは、癌になっても仕方ないと思った。ショックはなかった。「聖書」「実践理性批判」「プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神」の三冊を持って入院した。「プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神」には「資本主義の最後には精神性のない専門人、心情のない享楽人が登場する」とある。マックスウエーバーは神はあるといったがしかし今後の資本主義は神を無視していくだろう。埴谷豊は独房で原書の「純粋理性批判」を読んで共産主義から転向した。カントは個人の意思と普遍的原理の一致が最高善といった。しかし心の不死を前提にしなければ「普遍的原理」の探求はできない。癌宣告をうけてこれがよく分かった、肉体は死んでも最高善をもとめ続けるかぎり、魂は不死だと思った。そして手術前に遺書を書いた。その時は妻は帰っていたはずなのに、遺書を書いていると妻の姿が見えた。意識の中に妻がいたのだ。このとき死んでも意識の中に愛しい人がいることがわかった。旅立ちのときは意識の中の愛しい人たちと一緒に行けばいいのだとおもった。自分もこの世で愛した一切の人と共にこの羽根飾りを堂々と掲げて逝きたい」(長部日出雄、11,9,12、NHK心の時間)
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