福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「おろかなるわれは仏にならずとも 衆生を渡す僧の身なれば」

2013-09-26 | 法話
「おろかなるわれは仏にならずとも 衆生を渡す僧の身なれば」(道元禅師和歌集『傘松道詠』)

おろかなる自分は悟れなくとも人を救わねばならない。僧侶とはそういうものである、という意味でしょうか。
道元禅師は、「正法眼蔵(発菩提心)」で「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり。衆生を利益すといふは、衆生をして「自未得度先度他」のこころおこさしむるなり。「自未得度先度他」の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもうべからず。 たとひ、ほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふも、なおめぐらして衆生の成仏得度に回向するなり」とおっしゃっています。 




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