史料綜覧巻八 / 明応二年(1493)十月四日条
「四日 畠山基家 兵ヲ紀伊ニ出シ 根来高野ノ僧兵ト戦フ」
畠山基家は河内守護。長年の政敵である畠山政長(尾州家)が室町幕府の中枢にいたため明応2年(1493年)に10代将軍足利義材と政長を主力とした幕府軍の追討を受けるが、遠征軍の来る直前の明応元年(1492年)に義材・政長と対立していた管領細川政元による明応の政変が勃発、逆に義材を捕らえ政長を自刃させる。しかし、
明応6年(1497年)に家臣が内紛を起こし、これに乗じて政長の子尚順に河内高屋城を落とされる。11月には河内・大和を尚順に奪われ追い詰められ明応八年(1499年)1月30日に河内十七箇所で戦死。
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