即身成仏義
(『五秘密儀軌』の成仏法について)
また云く、 「もし毘盧遮那仏自受用身所説の 内証自覚聖智の法、 及び大普賢金剛薩埵の他受用身の智に依らば、 則ち現生において曼荼羅阿闍梨に遇逢い 曼荼羅に入ることを得。 為く、羯磨を具足し、普賢三摩地を以て 金剛薩埵を引入して、その身中に入る。 加持の威徳力にゆるが故に、 須臾の頃に於いて当に無量の三摩耶、 無量の陀羅尼門を証すべし。 不思議の法を以て、能く弟子の倶生我執の種子を 変易して、 時に応じて身中に一大阿僧祇劫の所集の福徳を集得して、則ち仏家に生在すと為す。 その人、一切如来の心より生じ、仏口より生じ、 仏法より生じ、法花より生じて、仏の法財を得。 法財とは、謂く三密の菩提心の教法なりと。 <此れは初めて菩提心戒を授かる時、阿闍梨の加持方便に由って得る所の益を明かす。>
また、『金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修業念誦儀軌』には、「もし、毘盧遮那如来が自らさとりを享受する仏身として説かれた内面のさとり・自らさとった聖なる智慧の教えに依拠したり、大普賢金剛薩埵の、他者にさとりを享受せしめる身体の智慧に依拠するならば、行者はその生涯において、さとりの世界に導き入れてくれる師に出会い、さとりの世界に入ることができる。すなわち、師は授戒の作法を完全に行い、金剛薩埵を引き入れて、弟子の身中に入れしめるであろう。この不思議な働きのすぐれた力によって、弟子は、たちまち、まさにはかり知れないほどの多くの誓願や、多くの真言の教えを体得する。思慮を超えた不思議な力で、よく弟子が生まれつき具え持っている自我に対するとらわれの原因をとりのぞき、時に応じて、弟子の身中に、無限の時間をかけて集められるべき福徳と智慧とを集合させるのである。こうして弟子は仏の世界に生まれかわるのである。その生まれ変わった行者は、すべての如来の心から生じ、仏の口から生じ、仏の教えにより生じて、仏の教えの宝を得る。仏の教えの宝とは、すなわち三種の行為形態身口意の三密の働きによるさとりの心に基づく教えのことである。」
<この文章は、真言密教の行者が、菩薩としての戒を初めて授かるときに、師僧が弟子に対して加持力により、与える利益を明らかにしたものである。>
(『五秘密儀軌』の成仏法について)
また云く、 「もし毘盧遮那仏自受用身所説の 内証自覚聖智の法、 及び大普賢金剛薩埵の他受用身の智に依らば、 則ち現生において曼荼羅阿闍梨に遇逢い 曼荼羅に入ることを得。 為く、羯磨を具足し、普賢三摩地を以て 金剛薩埵を引入して、その身中に入る。 加持の威徳力にゆるが故に、 須臾の頃に於いて当に無量の三摩耶、 無量の陀羅尼門を証すべし。 不思議の法を以て、能く弟子の倶生我執の種子を 変易して、 時に応じて身中に一大阿僧祇劫の所集の福徳を集得して、則ち仏家に生在すと為す。 その人、一切如来の心より生じ、仏口より生じ、 仏法より生じ、法花より生じて、仏の法財を得。 法財とは、謂く三密の菩提心の教法なりと。 <此れは初めて菩提心戒を授かる時、阿闍梨の加持方便に由って得る所の益を明かす。>
また、『金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修業念誦儀軌』には、「もし、毘盧遮那如来が自らさとりを享受する仏身として説かれた内面のさとり・自らさとった聖なる智慧の教えに依拠したり、大普賢金剛薩埵の、他者にさとりを享受せしめる身体の智慧に依拠するならば、行者はその生涯において、さとりの世界に導き入れてくれる師に出会い、さとりの世界に入ることができる。すなわち、師は授戒の作法を完全に行い、金剛薩埵を引き入れて、弟子の身中に入れしめるであろう。この不思議な働きのすぐれた力によって、弟子は、たちまち、まさにはかり知れないほどの多くの誓願や、多くの真言の教えを体得する。思慮を超えた不思議な力で、よく弟子が生まれつき具え持っている自我に対するとらわれの原因をとりのぞき、時に応じて、弟子の身中に、無限の時間をかけて集められるべき福徳と智慧とを集合させるのである。こうして弟子は仏の世界に生まれかわるのである。その生まれ変わった行者は、すべての如来の心から生じ、仏の口から生じ、仏の教えにより生じて、仏の教えの宝を得る。仏の教えの宝とは、すなわち三種の行為形態身口意の三密の働きによるさとりの心に基づく教えのことである。」
<この文章は、真言密教の行者が、菩薩としての戒を初めて授かるときに、師僧が弟子に対して加持力により、与える利益を明らかにしたものである。>