福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は南方熊楠の誕生日です

2023-05-18 | おすすめ情報

南方 熊楠は1867年5月18日(慶応3年4月15日)和歌山城下橋丁(現、和歌山市)にうまれています。自分は約50年前上野桜木町に下宿していたころ、プラトン研究者の先輩、都市工学者の先輩、生物物理学者の先輩等の薫陶を受けた中で常に皆の話題に上っていた人です。青春時代の象徴のような人で懐かしい人です。加えて真言行者となってからは土岐法龍高野山管長と親交があったということで何重にも親しみを感じる方です。
明治35年3月22日、熊楠より土岐法龍あての手紙です。霊魂不滅ということは当然の事と喝破しています。「・・・霊魂の死不死などは題からして間違っておる。神道ごとき麁末なるものにすらアラミタマ、クシミタマなどということがある。神にまた魂魄ある説なり。魂と魄の別などは太古から支那にあったらしい。すでに霊魂といわば不死をのみこんだ下題なり。もし人間の人間たる所以の精(エッセンス)が死か不死かとの説ならんには予は他の動物とかわり不死と答うべし。・・・康熙なりしか乾隆なりしか、支那の帝王にして、天地一大劇場、堯舜は立ち役、桀紂は悪方などいひし人ある。予をもってすれば世界は一大劇場、法律は刑罰場、色事は濡れ事場、議論は相談場、憂苦は阿波の十郎兵衛、殺伐は六段目、謀計は七段目、立志は天河屋の段、短慮は八百屋お七の恋の火桜、これのみ。さたしんだら感相同じ一大柩、悪方もああ苦しく務めた、濡れ事師もつまらぬことに骨折ったがずいぶんうけましたろうかねと、一大愉快を催すこと、虎渓の三笑(晋の高僧彗遠(えおん)は東林寺にいたが、寺の下にある虎渓をまだ渡ったことがなかった。あるときやってきた詩人の陶潜と道士の陸修静を見送って行く道すがら、話が弾み、虎渓を渡ったのも気付かず、虎の吠えるのを聞いてはじめて気がつき、三人顔を見合わせて大笑いしたという逸話)そこのけなり。・・・悪趣下愚の人間、急に浮かばれず、死んでも六道に迷うは芝居が混雑して手拭を落としたるを尋ね周り、役者が楽屋で役割の当不当を論じ、給金や花に葛藤を生ずるほどのことで、まけおしみから今一度やってみたくなり、無理な算段をして今一度櫓をたてかえさんなどいうやつが、再生輪廻を脱せずに馬のあしとなり鬼卒となりまわるようなもの・・」

 

熊楠の子息は統合失調症を発症し熊楠も死ぬ間際に子息の名「熊弥」を叫んだ、と言われるほど苦悩していたのですが、その中で「霊魂不滅」「世界は一大劇場」と喝破していることを知るとその深さにただただ脱帽するほかありません。

 

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