福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

真言宗義章・第十六 三密妙行章

2022-02-07 | 諸経

第十六 三密妙行章

(手に印を結び、口に真言を唱へ、心は本尊の三昧に住する、是を三密の行というが、この三密修行の中にすべての功徳が詰まっており、この功徳を以て法界の衆生に廻向すれば四海平等にして五穀ゆたかに実り国に災害を絶ち、人福寿を得る、このように自利利他の二利の行すべて皆この三密の中にある。しかし真言行者は慇重の心を以て三密業を修せざればいくら修しても益なし。)

手に印を結び、口に真言を唱へ、心は本尊の三昧に住する、是を三密の行といふなり。真言行者発心の初めに阿闍梨の開示を蒙り凡身即佛の理を聞きて深く之を信ずると雖も、若し修行をせざれば悟入するに由なし。この故に法身如来、大悲加持力を以て大智慧海の力に於いて無相に即する相を開きて有相三密の行を説き之を以て能入進趣の方便とし給ふ。行者若し能く法則に随ひて精進修行する時は生佛一如の智見頓に開け、父母所生の身を捨てずして速やかに大覚の位を証す。何が故にかこのごとき功徳あるぞとならば、印契は即ち法身の身体、真言は法身の言相、観念は法身の心徳、即時に行者の三業の上にのりうつって凡夫有情の三業は如来清浄の三密に加持せられて本尊の三密と行者の三密と入我我入するが故に、無始の隔執自ら蕩けて生佛一体をなすなり。是れ即ち甚深不思議の加持力の致すところなり。但し宿善拙くして一生に成仏すること能わざる者も教益甚深の力に依るが故に二生三生の内には必ず成仏する事を得べし。未だ成仏せざる間は永く三途を離れ人或ひは天に生じ所生の処に妙快楽を受け常に善智識に親近して深法を聴受し仏道の因縁絶ゆることなし。或は暫く応化の浄土に往生し、見佛聞法の益を蒙り終に無上菩提を成ずる者もあるべし。

十方三世の一切諸仏無上菩提を成じ給ふこと皆この法に依る。佛佛同道にしてさらに異道なし。諸教の行者も終にはこの法に帰して真実の仏果を証す。この故に大師は「余教に成仏と説くは並びにこれ方便引摂の言なり」(教王經開題)と示し給えり。この三密修行の功徳を以て法界の衆生に廻向するに四海平等にして五穀ゆたかに実り国に災害を絶ち、人福寿を得、二利の行すべて皆この三密の中にこもれり。真言行者この如く諦信決定して必ず慇重の心を以て修すべし。軽慢にして修すれば多時なれども益なし。今日の中に「不至心を除く」(陀羅尼集経に「於佛像前恭敬一心。合掌係念。燒衆名香散諸妙花。至心禮拜胡跪。誦此呪二十一遍。乃至齋時更莫共他交雜言語。至空靜處。一日誦得五百偈經。如是一七二七三七日。無不有驗。除不至心。」)と説き給へり。又若し修行多時を経て未だ現益を蒙らずんば我が功行未だ至らざるに由るか、或は障甚だ重きに由るかと顧みて倍々精進を加ふべし。下劣の想を生じてこの法は我が堪ふるところにあらずと言ふことなかれ。若し精進してやまずば如来明らかにその心を照覧し威神力を以て加護し給ふがゆえに速やかに諸障を除きて大悉地を得べし。若しこのごとき深信なき者は一生に悉地を成ずること能はず。興教大師末代行者の用心(注)を釈して曰はく「いかなる心を発する者必ず悉地を成就するや。いわく深信ある者能く悉地を成就す。なにをかを深信といふ、久々に修行して法験あらずと雖も疑慮を生ぜず退心を生ぜざる、この如の人定して悉地を成ず」

(注、末代真言行者用心

「経にいはく(大日経のこと)いかなる心をおこすもの必ず悉地を成ずるや、

いはく深信あるもの能く悉地を得、何なるをば深信という、

いはく久々に修行して法験を得ずといえども疑慮を生ぜず退心を生ぜざるなり、

このごとくの人必ず定んで悉地を成就す、

あるは本尊、行者を試さんが為の故に

 あるは諸天等その信心の浅深を試さんがために暫く以って之を抑うるがゆえに、

あるは宿障重深なるがゆえに暫く不成に似たりといへども、冥(かすか)に能く成就すれども自ら知らざるがゆえに、

あるいは魔旬妨げをして暫く覆蔽(ふくへい)するがゆえに、このごとく等の種種の因縁あるが故に疑怠すべからず」 -)。

 

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