第三、大日経の教主及び密教の起源
絶対の如来も我らの分別識により或は三十二相具足の応身を見、或は八万四千の相好円具の報身を見る。しかも分別を絶したもののみ法身大日如来(如来の真身)をみるのである。・・密教では法身如来には法身自らの体を認知する心識があり、自らの本誓三昧を表現する言説があり、衆生摂取の大威神力があり、無量の微妙な色相を具し無数の菩薩衆とともに三世常住の実義があらわれる。かりに法身の実在性が現れなかったら他の二身は何ら真実性のない仏身で、ついに幻化の様に寂滅の涅槃に記したまふことになる。・・密教が釈迦大日の二佛を分け、且つ密教は大日如来の説であると高唱するのは、密教が直住月宮の教えであり果分の教えであるからである。・・では法身大日如来の説きたもうた密教を如何にして人間に伝えたかを述べよう。伝統の説では、大日如来が色究竟天において説かれた密教を金剛薩埵が結誦し南天竺の鉄塔の中に入れて時を待ち人を待っていたところ仏滅後八百年、たまたま竜樹菩薩が鉄塔に入り密教を世間に伝えたという。すると此の土においては竜樹の鉄塔開見が密教の起源ということになる。凡そ密教の説く法身説法の義はこの竜樹菩薩によって唱導せられたるものである。大師の「顕密二教論」に引用せられたるように、竜樹の大智度論に法身説法の義を明かしている。そして竜樹が鉄塔から伝えたという根本経典大日・金剛頂の二經は、法身説法の秘儀を開示するものである。即ち法身の説かれたるものは大日・金剛頂の二經である。法身説法の義を唱導した竜樹によって南天鉄塔中から法身説法の経典を伝えられたというのはまことに意味深長というべきである。・・・要するに一代仏教の中心概念は法身である。そして密教の本領はこの法身を積極的に解するところにある。そして密教の本領はこの法身を積極的に解するところにある。法身は釈迦如来によって開顕せられたという上からは釈迦如来が密教教主であるといえるし、又法身の積極的意義の唱導しゃである竜樹を密教の祖師ともいえる。しかしまた竜樹菩薩所伝の両部大經に明かす法身大日如来は不生不滅三世常住の体で・・大日如来は釈迦如来の本地身で法界宮に住し、三世常恒に三密平等の法門を開設する密教の根本教主とする真意もしるべきである。
絶対の如来も我らの分別識により或は三十二相具足の応身を見、或は八万四千の相好円具の報身を見る。しかも分別を絶したもののみ法身大日如来(如来の真身)をみるのである。・・密教では法身如来には法身自らの体を認知する心識があり、自らの本誓三昧を表現する言説があり、衆生摂取の大威神力があり、無量の微妙な色相を具し無数の菩薩衆とともに三世常住の実義があらわれる。かりに法身の実在性が現れなかったら他の二身は何ら真実性のない仏身で、ついに幻化の様に寂滅の涅槃に記したまふことになる。・・密教が釈迦大日の二佛を分け、且つ密教は大日如来の説であると高唱するのは、密教が直住月宮の教えであり果分の教えであるからである。・・では法身大日如来の説きたもうた密教を如何にして人間に伝えたかを述べよう。伝統の説では、大日如来が色究竟天において説かれた密教を金剛薩埵が結誦し南天竺の鉄塔の中に入れて時を待ち人を待っていたところ仏滅後八百年、たまたま竜樹菩薩が鉄塔に入り密教を世間に伝えたという。すると此の土においては竜樹の鉄塔開見が密教の起源ということになる。凡そ密教の説く法身説法の義はこの竜樹菩薩によって唱導せられたるものである。大師の「顕密二教論」に引用せられたるように、竜樹の大智度論に法身説法の義を明かしている。そして竜樹が鉄塔から伝えたという根本経典大日・金剛頂の二經は、法身説法の秘儀を開示するものである。即ち法身の説かれたるものは大日・金剛頂の二經である。法身説法の義を唱導した竜樹によって南天鉄塔中から法身説法の経典を伝えられたというのはまことに意味深長というべきである。・・・要するに一代仏教の中心概念は法身である。そして密教の本領はこの法身を積極的に解するところにある。そして密教の本領はこの法身を積極的に解するところにある。法身は釈迦如来によって開顕せられたという上からは釈迦如来が密教教主であるといえるし、又法身の積極的意義の唱導しゃである竜樹を密教の祖師ともいえる。しかしまた竜樹菩薩所伝の両部大經に明かす法身大日如来は不生不滅三世常住の体で・・大日如来は釈迦如来の本地身で法界宮に住し、三世常恒に三密平等の法門を開設する密教の根本教主とする真意もしるべきである。