福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お釈迦様の前世の捨身はあったということ・・その3、割肉貿鳩の話。

2019-03-29 | 諸経
お釈迦様の前世の捨身はあったということ・・その3、割肉貿鳩の話。

法顕傳(5世紀)には四大塔として・タキシラ(中国語で截頭の意)国の『截頭施人塔』と・『投身餧餓虎塔』、・スハタ国の『割肉貿鳩塔』、・ガンダーラ国の『捨眼塔』を挙げています。宋雲行紀でも「釈迦四塔」としてこれらの塔に描かれた変相圖を「釈迦四塔変」として恵王が模写したとかいてります。

割肉貿鳩塔の実在に関しては、法顕傳に「ナガラハーラ(ジャララバード)で夏座をおわり、南下してスハタ(宿呵国・現在のスワット地方)に到る。この国の仏法もまた盛んである。ここは昔天帝釈が菩薩を試し鷹と鳩に化し、菩薩が肉を割いて鳩をあがなったところである。のちに仏が成道してから諸弟子と遊行し、ここはもと私が肉を割いて鳩を贖ったところだと語った。国人はそれでそのことを知りここに塔をたて金銀で校飾った。ここから東へ五日下っていくとガンダーラ(犍陀羅・今のハシュトナガル)国に至った。アショーカ王の子、法益が統治した処である。仏が菩薩だった時にも、またこの国で自らの眼を人に施したという。そこにも大塔をたて、金銀で校飾ってある。・・」

宋雲行紀(6世紀)には「ここにおいて(ガンダーラ城の東南7里の雀離浮く圖より)西北に行くこと七日、一大水を渡り如来が尸毘しび王であったとき鴿はとを救れた処に至った。ここにもまた塔と寺が立っていた。・・」とあります。

大唐西域記(7世紀)巻3には「摩愉伽藍より西へ六、七十里で窣堵波に至る。無憂王あしょかの所建なり。是如來昔菩薩行修すとき毘迦王と號せしき(唐に言はく、與という。舊に尸毘王というは訛なり)、求佛果のために此で割身し鷹に従い鴿に代られたところである」
東洋文庫の注記には「この本生譚と本生地往訪の記事は法顕・宋雲・慧超のそれぞれの行紀にも見える」とあります。有名な地であったようです。

賢愚経等の多くの経典にこの割肉の話はでてきますが、あらすじは、お釈迦様が前世で尸毘王だった時にその菩提心を試そうとした帝釈天が化けた鷹に、鳩の身代わりとして尸毘王が全身を与えたという故事です。
以下に大智度初品中菩薩釋論第八尸毘王施鴿譚を載せておきます。
『大智度初品中菩薩釋論第八』
「問曰。檀波羅蜜云何滿。答曰。一切能施無所遮礙。乃至以身施時。心無所惜。譬へば尸毘王の身を以て施鴿するがごとし。釈 迦 牟尼 仏 は 、 本 と身 を王 と 作 し、尸 毘 と名 く。是王は救護陀羅尼に帰命することを得たり。大精進にして慈悲心あり。一 切 衆生 を視 る こ と 、 母 の 子 を愛 す る が 如 し。時に世は無佛なり。釈提桓 因、命尽し堕せ ん と欲 して 、 自 ら念 じて 言 く、「何 の 処 に か仏 の 一 切 智 人 あ るや」と。処 々 に 問難 す れ ど も疑 い を断 ず る
こ と能わ ず。ことごとく仏 に 非 ず と知 っ て 即 ち天 上 に 還 りて 愁 憂 して 坐 す 。 巧な変化師、 毘首 羯磨天が問 うて 曰 く、 「天 主 よ、何 を以 っ てか 愁 憂をなすや」 と 。 答 え て 曰 く、 「我 れ 一 切 智 人 を求 む る に 得 べ か ら ざ る な り。 是 れ を以 って の 故 に 愁 憂 す 。 」 と。 毘 首羯 磨 、 言 く、 「大 菩 薩 あ り、 布 施・持 戒・禅定・智 慧、具 足 せ り。 久 しか ら ず し て 当 に 仏 と 作 る べ し。 」 と。
帝釋以偈答曰「菩薩 の 大 心 を発 す と 、 魚 の 子 と 、 菴 樹 の 華 と の 三 事 は 、 因 の 時  に は 多け れ ど も、 果 を成 ず る 時 は 甚 だ 少 し。 」  毘 首 羯磨 、 答 えて 曰 く、 「是 の 優 尸 那種・尸毘 王 は 、 持戒・精 進・大 慈・大 悲・禅定・智 慧 あ り。 久 しか らず して 仏 と作 り た ま うべ し。」
釈 提 桓 因、 毘 首 羯磨 に 語う「当に 往 い て 之 を試 み 、 菩薩 の 相 あ りや 不 や を知るべ し。 汝 は 鴿 と作れ 、 我 れ は 鷹 と作 ら ん 。 汝 は 便 ち 佯怖して王 の 腋下に 入 れ 。 我れ は 当に 汝 を逐 うべ し。 」 と。
毘首 羯磨 、 言 く、 「此 の 大菩 薩 は 云 何 が 此の 事 を以 っ て 悩 ま ん や 。 」 と。
釈 提 桓 因 、 偈 を説 い て 言 く、
  「我 れ も ま た 悪 心 に 非 ず 、 真 金 の 応 に 試み るべ きが 如 く、 此 れ を以 っ て 菩 薩 を   試 み 、 其の 心 の 定不を知 ら ん」
此 の 偈 を説 き竟 っ て 、 毘 首羯磨 は 即 ち 自身 を変 じて一 の 赤 眼 赤 足 の 鴿 と作 り、 釈 提 桓 因は 自 ら身 を変 じて 一 の 鷹 と作 り、 急飛して鴿 を逐 う。 鴿 は 直 ちに 来 っ                               お の の て 王 の 腋下に 入 り、 身 を挙 げ て戦 き怖 れ 眼 を動かし声 を促 が す。                       あい と も   是 の 時に 、衆 多の 人 、 相 与に 語 っ て 曰 く、 「是 の 王 は 大慈仁 あ りて 、 一 切 を宜 し く保護すべ し。 是 の 如 きの 鴿の 小 鳥 、 之 に帰す る こ と舎 に 入 る が 如 し。 菩薩
  の 相 、 是 の 如 ん ば 、 仏 と作 る こ と必 ず 久 しか らず 。 」 と 。
是 の 時 、 鷹 は 近 き樹 の 上 に 在 りて 尸毘王 に 語 る、「我れ に 鴿 を還与せよ。 此 れ                                             我が 受 く る所 な り。 」と 。 王 時 に 鷹 に 語 る、「我 れ 前 に 此 れ を受 く。是 れ 汝 の 受 く る に 非 ず。 我 れ 初め て 意 を発 す時 、此 の 一 切 衆 生 皆 之 を度せ ん と欲 す 」 と。 鷹 の 言 く、 王 は 一 切 衆 生 を度せ ん と欲すならば我 れ は 一 切 に 非 ざ るや 。何 を以 ってか 独 り愍 れ まれ ず 、 而 も我 が 今 日 の 食 を奪ふや 。 」 と。
           
王 、 答へて 言 く、 「汝 は何 の 食 をか 須 い る や 。 我 れ は 『其 れ 衆生 あ り、来 っ て我 れ に 帰す る 者 は 必 ず之 を救 護せ ん』 と誓願 を作せ り。 汝 は何 の 食 をか 須 い るや 。 亦 た 当に 相 給 すべ し。 」 と。
鷹 の 言 く、 「我れ は新 た に 殺せ る熱 肉 を須 う。 」 と 。
王 、 念 じて 言 く、 「此 の 如 きは 得難 し、 自ら生 を殺す に 非ずん ば得 る に 由 な し。 我 れ 当に 云何 ぞ 一 を殺 して 一 に 与 うべ けん や 。 」 と思 惟 し、 心 を定 め て即 ち 自ら偈 を説 く。    「是 れ 我 が 此 の 身 肉は 、 恒 に 老病 死 に 属す 。 久 しか らず して 当 に臭爛 すべ し。  彼日本人須らく当 に我を 与 うべ し 」                                                    是 の 如 く思惟 し己 っ て 、 人 を呼 ん で 刀 を持 ち、 自 ら股 の 肉 を割 い て鷹 に 与 う。

 鷹 は王 に 語 っ て 言 く、「王 は 熱 肉 を以 っ て 我 れ に 与 う と雖 も、 当に 道 理 を もっ て 、
肉 の 軽 重 を して 、鴿 と等 し きこ と を得 せ しむ べ し。 欺 くこ と勿 か れ 。 」 と。王言 く、「 称 を持 ち 来 れ 。 」 と 。 肉 を以 っ て 鴿 に 対 す る に 、 鴿 の 身は 転 た 重 く、王 の肉は 転 た 軽 し。 王 は 人 を して 二 つ の 股 を割 か しむ る に 、 亦 た 軽くして 足 らず。こ ぶ ら               し り 次 に 、 両 の 踵 と両 の 境 と両 の 乳 と頸 と背 と を割 き、 身 を挙 げて 肉 を尽 せ ど も、                         鴿 の 身は 猶 お 重 く、 王 の 肉 は 故 さ らに 軽し。 是 の 時に 、 近 臣、 内戚 は 、 帳幔 を
安 施 し、 諸 の 看 人 を却 く。「王 は 今 此 の 如 く観 る可 き無 き な り。」 尸 毘 王 言 く、 「諸 人 を遮 る こ と勿 か れ 。 聴 して 入 りて 看せ しめよ」と。
王偈 を説 い て 言 く。
   「天 ・人・阿修羅・一 切 来 りて 我 を観 よ 。 大心無上 の 志にて 、以 っ て成仏道を求めん 。 若 し仏 道 を求 む る有 ら ば 、 当 に 此 の 大 苦 を忍 ぶ べ し。心堅 固 に す る こ と能わ ざれ ば 、 則 ち 当 に 其の 意 を息 む べ し。」是 の 時 に 、 菩薩、 血 を以 っ て 手 に 塗 り、 称(はかり) を攀上 らん と欲 す。 心 を定め 身 を以 っ て 尽 し て 、以 っ て 鴿 に 対せ ん とす。
鷹言 「大 王 、此 の 事 弁 じ 難 し。 何 を用 っ て か 此 の 如 くす る や 。 鴿 を以 っ て 我れ に 還 せ 。 」 と 。 王 、 言 く、「鴿 来 っ て 我 れ に 帰す 。 終 に 汝 に與へず 。 我 れ 身 を喪 うこ と無量 な りと も、 物 に 於い て益 な し。 今 、 身 を以 っ て 易へて 仏道 を求 め ん と欲 す 。 」 と。 手 を以 っ て 称 を攀じ る に 、 爾 の 時 、 菩薩は 肉尽 き筋断 えて 自 ら制 す る こ と能 わず、上らん と欲 して堕 つ 。 自ら心 を責め て 言 く、 「汝 、 当 に 自ら堅 くす べ し。 迷 悶す る こ とを得 る こ と 勿か れ 。 一 切 衆 生 は 憂 苦 の 大海 に 堕す 。 汝一 人誓 を立 て て 、 一 切 を度せ ん と欲 す 。
何 を以 っ て か 怠 り悶 え るや 。 此 の 苦 は甚 だ 少 な く、 地 獄 の 苦 は 多 し。 此の相を 比 す る に 十六 分 に於 い て猶ほ一だ に も及 ば ず 。 我れ 今、 智 慧・精 進・持 戒・禅 定 あ りて 、 猶ほ此 の 苦 を患 う。 何 に 況 ん や 地 獄 の 中 の 人 の 智 慧 な き者 をや 。 」 と 。

是時、菩 薩は 一 心 に 上 らん と欲 して 、 復 た 更 に 称 を攀 じ りて 、 人 に我 れを扶 け よ と語 る 。 是時、菩 薩は 心 定 ま り て 悔 な し。 諸 天 、 龍王 、 阿 修羅 、 鬼 神 、 人 民 は 、 皆大 い に 讃 して 言 く、 「一 の 小 鳥の 為 に 乃 ち爾 り、 是 の 事 希有な り。 」
と。 即 時 に 大 地 は 為 に 六 種 に 振 動 し、 大 海 の 波 は揚 り、 枯樹 に 華 を生 じ、 天 は 香 雨 を降 ら し、 及 び 名華 を散 じ、 天 女 は歌 い 、 「必 ず仏 と成 る こ と を得 ん 。 」 と讃ず。
是 の 時 に 、 四方 の 神 仙 は 皆来 り讃 じて 言 く、 「是 れ 真の 菩 薩な り。 必 ず早 く仏 と
成 らん 。 」 と。 鷹は 鴿 に 語 りて 言 く、 「終 に 試み る こ と此 の 如 し。 身命 を惜 しまず 、
是 れ真 の 菩薩 な り。 」 と。


即 ち偈 を説 い て 言 く。    
「慈 悲 の 地 中よ り、 一 切 智樹 の 牙 を生 ず 。 我ら 当 に 供 養 す べ し。 応 に 憂 悩を施 す べ か らず」
 毘 首 羯 磨 、釈 提 桓 因 に 語 りて 言 く、 「天 主 よ、汝 は 神 力 あ り。 此 の 王 の 身を して                                                       ま 平 復 す る こ と を得せ しむべ し。 」 と。 釈 提 桓 因 言 く、 「我れ を須 た ざ る な り。此 の 王 は 自ら誓 願 を作 し、 大 心 歓喜 し て 、 身命 を惜 しま ず、 一 切 を感 発 し て 、 仏 道を求む 。 」 と。 帝 釈 、 人 王 に 語 りて 言 く、 「汝 、 肉 を割 い て 辛 苦 す る も、心 悩 み没 せ ずや 。 」 と。 王 の 言 く、我れ は 心 に 歓 喜 して 悩 まず 没せ ず 。 」 と。
帝 釈 言く、 「誰 か 当に 汝 が 心 の 没せ ざる を信ずべ き者 あ りや 。 」 と。 是 の 時に 、 菩薩は 実 に誓願 を作 さ く、 「我れ 、 肉を割 き、 血 を流す も、瞋 らず 悩 ま ず、一 心 に 悶 えず 、以                                           て 仏 道 を求 め ば 、 我 が 身、 当に 平復 す べ き こ ともとの 如 くな る べ し。 」 と。 即 ち語
を出す の 時、 身復 して 本 の 如 し。 人 天 之 を見 て 、 皆 大悲歓喜すること未 曽有 な り。                                 「わ れ ら 此 の 大 菩薩は 必 ず 当に 仏 と作 るべ し。 我らは 当応 に尽 く一 心 に 供養 すべ し。 願 はくは早 く仏 道 を成 ぜ しめ ん 。 当に 我 等 念 ず べ し。 」 と嘆 ぜ り。 是 の 時 に 、 釈提桓因 と毘 首 羯磨 は 各の天に 還 えれり。 是 の 如 き等 の 種 種 の 相 は 是 れ檀 波羅蜜 を満 たす な り。




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