高野春秋「(大治二丁未年1127)、十一月二日、白河院・鳥羽院両太上皇、御幸山。是殊東塔西塔同日御供養法事の為也。御導師座主權僧正勝覚、呪願師検校良禅也。覚法親王亦供奉。」
覚法親王は白河天皇の第四皇子、鳥羽院は白河院の孫。白河院はこの時が三回目、鳥羽院は二回目の高野山参拝と思われます。覚法親王は保延七年(1141年)に鳥羽上皇の戒師をつとめ、皇子誕生や天皇の病気平癒のために孔雀経法を何度も修し、仁和寺御流の祖。
高野春秋「(大治二丁未年1127)、十一月二日、白河院・鳥羽院両太上皇、御幸山。是殊東塔西塔同日御供養法事の為也。御導師座主權僧正勝覚、呪願師検校良禅也。覚法親王亦供奉。」
覚法親王は白河天皇の第四皇子、鳥羽院は白河院の孫。白河院はこの時が三回目、鳥羽院は二回目の高野山参拝と思われます。覚法親王は保延七年(1141年)に鳥羽上皇の戒師をつとめ、皇子誕生や天皇の病気平癒のために孔雀経法を何度も修し、仁和寺御流の祖。