福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の9/9

2024-11-02 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の9/9

 

九、満米法師の事

満米法師(平安時代前期の僧。大和(奈良県)真言宗金剛山寺(矢田寺)の上人。「矢田地蔵縁起」によれば,閻魔(えんま)王と地獄をめぐった際,罪人を救済する地蔵にあい,この世にもどって地蔵菩薩立像(国重文)をきざんだという。前名は満慶)和州金剛山に居て戒行の誉朝野にかくれなかりき。其の時の名臣小野篁と師弟の禮をなせり。この篁と申すは峯守の子にて博学洽聞かつ和歌の達者にて神異不測の人なり。身は朝廷に列ねて琰王宮に神遊し玉へり。或時琰王嘆じて曰く、澆季の有情罪障のほど至って渥し。我精直すと雖も餘殃にかかれり。是我が夙作の純なることなきにより、我雙王(閻魔)の名を得たり。如何してか可ならんと炎王の臣評議すらく、願くは大王菩薩戒を受け玉へと云々。王の云く、此の陰府の戒師なきことを如何せんとあれば、篁奏して云く、臣が師友あり戒行純ら浄し、閻浮提日本國にあり、引率して来んと云へば、」王悦て曰く、卿早く喚び来たれと。篁寺に詣りて事の子細を告げ便ち篁を伴て地府にをもむきければ琰王滿米を請じて師子座に昇らしめて、菩薩大戒を受け玉ふ(『小品般若経』『十地経』では在家、出家の区別なく菩薩戒として十善道が説かれ、瑜伽論では菩薩戒は律儀戒、摂善法戒、饒益有情戒の三種として説かれ、梵網経では菩薩戒として一〇重戒と四八軽戒を説く)其の後琰王の曰く、戒徳至って重し何を以てか施さん。滿米の云、我地獄の苦報を見ん事を欲す、願はくは大王ゆるし玉へ。炎王すなはち滿米を率て阿鼻城の鐵門銅釜火聚刀山諸の苦具言語の及ぶところにあらず。一所に至りて見れば焔熾に騰るに一人の比丘焔にしたがひて上下す。滿米問て云、彼の沙門は誰とかする。何なる苦報にて此の火中にあるやと。王の曰、自ら彼に問へと。滿米煙に随って下るを待ち熱を忍びて比丘の所に近きて問ふ、比丘こたへて曰く、我は是地蔵菩薩なり。汝此の界に来たりて戒法を説く、地獄の有情苦を離るること多し。我亦随喜す。我親(まのあた)り釈尊の付属を受けて猛火に惶(おそ)ることなし。大悲苦に代わりて諸の衆生を化度す。我ひとしく慈を行ずといへども無縁の衆生済度することをえず。汝人間に反って四衆に告げて我に帰依せよ亦此の苦の相を語れ。滿米深く信受して地府を辞せんとするとき琰王一の筐を嚫(ほどこ)す。滿米はこをひらきて見れば白粳(うるち)米なり。取るに随って満、齢を終るまで竭ることなし。元より地蔵尊を持念しければ陰府より皈りて良士を招きて獄中地蔵の相を刻みて寺に安置す。今に現在す。滿米本の名は満慶と云けるを琰王の米を得て時の人今の名に改むとなん。(今の矢田寺の地獄地蔵)。

地蔵菩薩三国霊験記巻十三終

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