福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)52・53

2019-10-22 | 諸経
善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)52・53
五十一番目、南方妙意華門城  徳生童子
五十二番目、  〃      有徳童女
尸毘最勝婆羅門に「この南方に城あり、妙意華門と名く、彼に童子あり名けて徳生という、また童女あり、名けて有徳と為す。汝かしこに詣でて問え・・」といわれ善財は彼の城に至り童男・童女の足を頂礼し囲繞し、いつものように問うと、
「「時童子童女善財に告げて言く、善男子よ、我
等は菩薩の解脱を証得せり。名て【幻住】と為す。斯の淨智を以て觀ずるに諸世間は皆な幻住なり。因縁生の故に。一切衆生は皆な幻住なり。業煩惱の所起なるが故に。一切法は皆な幻住なり。無明有愛等が展轉して縁生なるが故に。一切三界は皆な幻住なり。顛倒智の生ずる所なるが故に。一切衆生の生滅・生老病死・憂悲苦惱は皆な幻住なり。虚妄分別の所生なるが故に。一切國土は皆な幻住なり。想倒・心倒・見倒・無明の現ずる所なるが故に。一切聲聞辟支佛は皆な幻住なり。智斷分別の成ずる所なるが故に。一切菩薩は皆な幻住なり。能く自ら衆生を調伏教化する殊勝の智心及び諸行願の所成なるが故に。一切菩薩の衆會・變化・調伏、諸の施爲する所は皆な幻住なり。願及び智の攝成する所なるが故に。善男子よ、幻境は自性不可思議なり。善男子よ、我等二人は但だ能く此の菩薩解脱を知るのみ。」といいます。この二人の童男童女は幻住の法門という、世間も衆生の一切が幻住であるが幻境は同時に自性不可思議法門でもあると教えたのです。すべては幻、幻も幻、その幻もまた幻と無限に辿っていくとまさに不可思議の法門が現れるということでしょうか。ここも探玄記では「会縁入実相」とされ「城を妙意華と名くとは・・彼の城の側に此の華あるをもっての故に、・・童子童女は智悲相たすけ、智は徳のよりて起こり、悲は徳をつつんでもって成ずることを表す。」としています。「華厳五十五所絵巻」には「第十知識」と書かれています。
童子童女はいつの時代もいいものです。田舎で育ったので、小さい頃は兄妹、姉弟などが身の回りに沢山いました。かくいう自分自身の家も兄妹です。柳田国男は「妹の力」で「古来日本人は婦人に不思議な力を感じていた」といいますが神話にも妹・夫人が夫を助ける話が多くあります。大国主命は須勢理毘売命の比礼で蛇から身を守れました(古事記)し、倭姫命は日本武尊の東征の際、草薙剣を授けて野火の難を救っています(古事記)、日本武尊の東征の際、走水海が荒れ狂った時、弟橘比売命は人身御供となり海を鎮めています(古事記)。兄妹ということでは当方にも忘れられない弟妹がいます。


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