5、
以是因縁。名観世音。若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壊。而得解脱。
「若し復た人有りて、当に害せらるべきに臨み、観世音菩薩のみ名を称せば、彼の(加害者の)執れる所の刀杖ついで段々に壊(お)れ、解脱することを得ん。(七難のうち第四の刀杖難(あるいは王難ともいう)のこと。刀を煩悩の喩として、「煩悩の為に自身の菩提心を殺害し、身を持ち崩すような場合にも観音様を念じていれば正道に立ち返ることができる」という那須政隆師「観音経講話」の解釈もある。)」
・平家物語にも観音様のお蔭で斬首をまぬかれた話があります。平家の家臣・主馬判官盛久は捕らえられて、鎌倉に護送される。都を出る時、日ごろ厚く信仰している清水寺の観世音に最後の祈りを捧げる。すると盛久は由比ガ浜で処刑される前夜、老僧が現れて「私が身代わりになろう」という不思議な霊夢を見る。明け方、斬首されようとした時、盛久が抱いていた経巻から発した光で処刑人の目がくらみ、太刀を落として二つに折れた。これを聞いた源頼朝は「自分も同じような夢を見た」と言い、観世音のお告げであるとして助命する。助かった盛久はさっそく、清水寺へお礼の参詣に訪れたところ、処刑日の同じ時刻に観世音像が倒れ、腕が壊れたことを聞かされる。その観世音像は現在、縁あって東京・上野の山にある「清水観音堂」に本尊として安置されているといいます。
・「歌入り観音経」という浪曲があります。
お金を落として自殺しようとした甚兵衛というお百姓が江戸の大盗賊木鼠の吉五郎にお金を恵まれ助けられました。恩返しに毎日仏壇の前で読み覚えた観音経を唱え続け木鼠の吉五郎の無事を祈ったところ吉五郎はつかまっても毎回処刑寸前になぜか執行不能となり、ついに放免されたという話です。
以是因縁。名観世音。若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壊。而得解脱。
「若し復た人有りて、当に害せらるべきに臨み、観世音菩薩のみ名を称せば、彼の(加害者の)執れる所の刀杖ついで段々に壊(お)れ、解脱することを得ん。(七難のうち第四の刀杖難(あるいは王難ともいう)のこと。刀を煩悩の喩として、「煩悩の為に自身の菩提心を殺害し、身を持ち崩すような場合にも観音様を念じていれば正道に立ち返ることができる」という那須政隆師「観音経講話」の解釈もある。)」
・平家物語にも観音様のお蔭で斬首をまぬかれた話があります。平家の家臣・主馬判官盛久は捕らえられて、鎌倉に護送される。都を出る時、日ごろ厚く信仰している清水寺の観世音に最後の祈りを捧げる。すると盛久は由比ガ浜で処刑される前夜、老僧が現れて「私が身代わりになろう」という不思議な霊夢を見る。明け方、斬首されようとした時、盛久が抱いていた経巻から発した光で処刑人の目がくらみ、太刀を落として二つに折れた。これを聞いた源頼朝は「自分も同じような夢を見た」と言い、観世音のお告げであるとして助命する。助かった盛久はさっそく、清水寺へお礼の参詣に訪れたところ、処刑日の同じ時刻に観世音像が倒れ、腕が壊れたことを聞かされる。その観世音像は現在、縁あって東京・上野の山にある「清水観音堂」に本尊として安置されているといいます。
・「歌入り観音経」という浪曲があります。
お金を落として自殺しようとした甚兵衛というお百姓が江戸の大盗賊木鼠の吉五郎にお金を恵まれ助けられました。恩返しに毎日仏壇の前で読み覚えた観音経を唱え続け木鼠の吉五郎の無事を祈ったところ吉五郎はつかまっても毎回処刑寸前になぜか執行不能となり、ついに放免されたという話です。