
いよいよ36番青龍寺です。
第1回目の遍路では土佐市内の喜久屋という遍路宿に泊まりました。その時は若者と二人だけの宿泊客でした。ここの老女将は熱烈な大師信者で夕食の後私を特に呼び止めて話し込みます。 それによると若い時には何度も遍路をしたということでした。 そしてお遍路仲間の宮崎の呉服店のおかみさん(長友すてさん)が一回の遍路でガンが治ったのでそのあと毎年2回ずつ35年間にわたり 計70回お礼の遍路をしたこと、その女将さんはのち宮崎高鍋に88箇所を開創したこと、 お遍路さんにもらったたくさんの納札を俵につめて天井のはりからつるしておいた家が周りの火事から守られたことなど夜を 徹して話し込んだのでした。
そしてここからがこの遍路記をそもそも書くことになった核心です。
すなわち翌日お参りする予定の36番青龍寺での必救祈願法を伝授されこれを他の人にも教えてほしいといわれたのです。
◇
第1回目の遍路では土佐市内の喜久屋という遍路宿に泊まりました。その時は若者と二人だけの宿泊客でした。ここの老女将は熱烈な大師信者で夕食の後私を特に呼び止めて話し込みます。 それによると若い時には何度も遍路をしたということでした。 そしてお遍路仲間の宮崎の呉服店のおかみさん(長友すてさん)が一回の遍路でガンが治ったのでそのあと毎年2回ずつ35年間にわたり 計70回お礼の遍路をしたこと、その女将さんはのち宮崎高鍋に88箇所を開創したこと、 お遍路さんにもらったたくさんの納札を俵につめて天井のはりからつるしておいた家が周りの火事から守られたことなど夜を 徹して話し込んだのでした。
そしてここからがこの遍路記をそもそも書くことになった核心です。
すなわち翌日お参りする予定の36番青龍寺での必救祈願法を伝授されこれを他の人にも教えてほしいといわれたのです。
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