観光協会のホームページに依ると「氣比神宮の祭神・仲哀天皇が、お后である常宮神社の神功皇后に会いにくるというロマンチックなお祭りです。仲哀天皇のご神体は舟神輿に乗せられて市内を練り歩き、御座船と呼ばれる船で海を渡ります。そして、神功皇后のご神体の隣に安置されて数時間を一緒に過ごします。」ということです。ウキぺヂアによると「『気比宮社記』によれば、仲哀天皇の時に神功皇后が三韓征伐出兵にあたって気比神に祈願をすると、海神を祀るように神託があり、皇后は穴門に向かう途中で海神から干・満の珠を得た。そして仲哀天皇8年3月に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたといい、これが神宮の創建になるとしている。またこの時、気比大神は玉姫命に神憑りして三韓征伐の成功を再び神託したとも伝える。」ということです。
「仏像図彙」には三十番神のうち気比大明神を四日とし、「仲哀天皇也本地大日」としています。霊亀元年(715)藤原武智麻呂(藤原不比等の子、南家の祖)の夢中に気比大神が現われ、神身離脱を願い、そのために寺を建てて欲しいと告げた。武智麻呂はお告げに従い氣比神宮寺を建立しています。(藤原武智麻呂伝)