福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

往生兜率密記(無量壽院尊海)・・7

2021-03-07 | 諸経

往生兜率密記(無量壽院尊海)・・7

巻下九品往生第六

慈恩法師上生経に依りて三品の往生に各の三品あることを分別す。所謂上品往生の修因に六事の法あり。

一には勧修功徳。二には威儀不缼。三には掃塔塗地。四には香華供養。五には三昧正受。六には誦経経典。

上品上生は六事の法悉く修し或いは五法を修する人。

上品中生は六事の内或いは三を修し或いは四を修する人。

上品下生は六事の内或いは一を修し或いは二を修する人なり。

初めに勧修功徳とは、疏に曰く、精勤して福を修す。敬と恩と悲との田の中に作す所の業なり。(私に注して曰く。敬田とは仏法僧を恭敬供養し無量功徳を成す。亦能く福を得。是を功徳福田といふ。恩田とは父母師長の恩を報ずる為に供養恭敬し自然に福報を得。又報恩福田と名く。悲田とは貧窮の人を愍んで己の所有物を施し、自然に福報を得る。又貧窮福田といふ。上大蔵法数の意に依って之を注す。)慈氏の儀軌に、帰依三宝・懺悔随喜・勧請発心・讃嘆随喜・帰命礼拝等の功徳を出す。皆是此の中に接すべし。

二に威儀不缼とは疎に曰く、堅く諸の戒行を守り自ら軌則等に住す。上生経にいわく、まさに五戒八斉具足戒を持すべし。身心精進して結を断ずることを求めず十善を修せよと。又いわく、兜率陀を念ぜば佛の禁戒を持し、一日より七日に至りて十善を思念し十善道を行ぜよ。又いわく、世尊記して曰く、汝及び未来世に福を修し戒を持するもの皆まさに弥勒菩薩の前に往生し弥勒菩薩の為に摂受せらる云々。秘密の四重禁十重禁等まさに此の中に接すべし。

三に、掃塔塗地とは、疎にいわく、塔を拂ひ地を塗り、道場を修飾し、正しく制多を理る等。慈氏の儀軌にいわく、金或は銀水精瑪瑙玻璃或いは白檀等を取りて法界塔印を作り乃ち七粒の舎利骨を安じ、作法して念誦せよ。三洛叉を満ち其の壇上に大光明を放ってゆが者の頂上を照らし、便ち大悉地を得。形七歳の如くして相貌を具足し、慈氏の身を証し、須臾の間に十方世界の一切の知足天宮上に至りて慈氏菩薩摩訶薩侘を見奉り、摩頂受記を得て大仏事を作し、若干の世界に身を分けて衆生を度し無盡に修行し無盡に成仏し、慈氏の宮の珊瑚法堂に処して、広く仏事を作し、随意に自在ならむ云々。此の外の儀軌に絵木の形像を造るの功徳あり。亦この中に攝在すべし。

四に香華供養とは疏に曰く、四事の什物随って給済等するなり。(私に曰く、四事とは一に衣服、二に飲食、三に臥具、四に医薬是也。但し什物とは、名義集什聚也雑也。謂く資生の物也云々。経は香華を挙げ四事を兼る。釈四事を挙げて香華を兼ねる。疏影略互顕。)儀軌にいわく、あらゆる水陸所生の香華宝塔塗香抹香焼香散華等各の本尊の真言を以て一七遍を加持して以て奉献せよと云々。此の外軌に憧幡寶蓋鼓楽歌舞羅網寶鈴衣服瓔珞宮殿楼閣等種々運心等の供養物を出す。是の如きの事、又まさに皆此に攝すべし。

五に三昧正受とは、疏にいわく、凡夫は三昧聞思等の定を行ず、聖人正受に入るは所得の禅に随ふなり。或るひは凡の三昧は六行定には非ず。六行定は必ず上生する故に深く聞思に住するを亦三昧と名く。真言三密の修因供養行法等皆此の門の中に摂すべし。所以はいかん。諸の顕略修行は悉く散善門に属し、一切三密の行法は皆三昧地門に摂するがゆえに。就中弥勒の供養行等に甚深の秘訣あり。更に問へ。慈氏儀軌にいわく、本尊の法等、毎日三時に念珠し、観行等の事を作法せよ云々。

六に読経経典とは、疎にいわく、十法行等を演説し修習するなり。且く偏勝を挙げるに行じ易し。上首に此の六事有り。其の中の一一に具さに衆業を摂すべし。(十法行とは、一書写、二供養、三施他、四諦聴、五披読、六受持、七開演、八諷誦、九思惟、十修習)。妙経の第八に曰く、若し人ありて受持し読誦し其の義趣を解せば是の人命終して千仏の為に手を授けられて恐怖せざらしめ悪趣に堕せしめざらん。即ち兜率天上の弥勒菩薩の所に往かん。弥勒菩薩に三十二相あり。大菩薩衆の共に囲繞するところなり。百千萬億の天女眷属有り、而も中に於いて生まれて是の如くなどの功徳利益あらむ。普賢観経にいわく、若し昼夜六時に十方の仏を礼し大乗経を誦し第一甚深の空法を思ふこと有らば、一弾指の頃に百万憶那由他河沙劫の生死の罪を除く。此の法を行ずる者は真に是仏子なり。諸仏に従って十方に生じ乃至一切天人の供養を受くべし。慈氏軌にいわく、三棄昧怛羅也経および慈氏本願経、大鉢羅と経を転読する云々。

上生経に曰く、佛滅度の後、我が諸の弟子若し精勤有りて諸の功徳を修し威儀欠せず、塔を掃し、地を塗り、衆の名妙華を以て供養し、衆の三昧を行じ、深く正受に入り、経典を読誦せん、この如くの人、まさに心を至すべし。結を断ぜずと雖も六通を得しむるがごとくならむが。まさに繫念して佛の形像を念じ弥勒の名を称すべし。この如く等の輩若し一念の頃をも、八戒斎を受け、諸の浄業を修し、弘誓願を発せば、命終の後、譬ば壮士の臂を屈伸する如き頃に即ち兜率佗天に往生することを得。蓮華の上に於いて結跏趺坐に百千の天子天の妓楽を作し、天の曼荼羅華摩訶曼荼羅華を持して以て其の上に散じ、讃めていわく、善哉善哉、善男子、汝閻浮提において広く福業を修し、来りて此の處に生ず。此の處を兜率陀天と名く。今此の天の主を名け弥勒といふ。汝まさに帰依すべし。聲に応じて即ち礼す。礼しおわって諦かに眉間白毫相の光を観て即ち九十億劫の生死の罪を超越することを得。是の時、菩薩其の宿縁に随って為に妙法を説き、其れをして堅固に無上道心を退転せざらしむ。是の如く等の衆生、若し諸業を浄め六事の法を行ぜば必定して疑無くまさに兜率天上に生じて弥勒に知遇することを得ん。亦弥勒に随って閻浮提に下り第一の聞法たり。未来世に於いて賢劫の一切の諸仏に値遇し星宿劫においてまた諸佛世尊に値遇することを得て諸仏の前に於いて菩提の記を受くべし。已上品証訖。

中品往生の修因に三種の行業あり。一には歓喜心。二には恭敬語。三には礼拝身なり。

中品上生は三種の行皆満具足す。

中品中生は二種の行業なり。

中品下生は一種の行業なり。

上生経に曰く、仏滅度の後の比丘比丘尼優婆塞優婆夷天竜夜叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩睺羅伽等、是の諸の大衆若し弥勒菩薩摩訶薩の名を聞くことを得ることある者は已に聞きて歓喜し、恭敬し

礼拝する。此の人の命終りて弾指の如くの間に即ち往生することを得ること前の如く異なる事なし。疏に』尺して曰く、八部名を聞き敬喜して往生す。即ち第二の中品生なり。又いわく、四衆八部、先に戒を犯さず。亦悪を造らず。罪軽微なるもの、名を聞きて心に喜び語に恭敬を発し、身に礼拝するもの、因の勝劣に由って當果異なりといえども、天罪を除き不退にして佛に値ふこと前と異なることなし。三業を具するは中の上品。唯二業は中の中品。若し唯し一業は中の下品なりと云々。また経に恭敬礼拝の功徳を説いていわく、但だ弥勒の名を聞きて合掌礼拝せばこの人、五十億劫の生死の罪を除却す。若し弥勒を敬礼することある者は、百億劫の生死の罪を除却すと。未曾有経にいわく、下品の十善はいわく、一念の頃。中品の十善はいわく一食の頃。上品の十善は旦あしたより午に至る迄此の時の中に心に十善を念じ十悪をむるは往生することを得る。故に野干

も心に十善を念じて七日食せずば兜率天に生ず。この文八部衆中畜種往生証なり。已上上品中品まで。

下品往生の修因に十一種の業あり。いわく懺悔と十行なり。十行とは一には名を聞く、二には形像を造る、三には香供、四には花供、五には衣服供、六には繒蓋供、七には憧供、八には幡供、九には身つねに礼拝す、十には心口に繫念するなり。

下品上生は懺悔 造像 供養 礼拝 繫念

下品中生は 懺悔 造像 供養 礼拝

下品下生は懺悔 造像 供養。

已上三品修行の配属亦これ慈恩法師の疏の意に依る。

上生経にいわく、若し善男子善女人、諸の禁戒を犯し衆の悪業を造らんに是の菩薩の大悲の名号を聞きて五体を投地し誠心に懺悔すれば是の諸の悪業速やかに清浄なることを得。未来世の中の諸衆生等是の菩薩の大悲の名称を聞きて形像を造立し香花衣服繒蓋憧幡礼繫念すればこの人命終せんと欲する時、弥勒菩薩眉間白毫大人相の光を放ち、諸の天子とともに曼荼羅華を雨ふらし、この人を来迎し此の人須臾に往生することを得。弥勒に値遇して頭面礼敬しいまだ頭をあげざる頃に便ち法を聞くことを得て即ち無上道に於いて不退転を得、未来世に於いて恒河沙等の諸仏如来に値ふことを得と。疏に釈していわく、衆の犯戒のもの、悔浄して往生す。即ち是れ第三の下品生なり。又いわく、上来の三類は九品の生を明かす。並びに内衆の中に佛を見たてまつり速やかに法を聞くことを得也。又経に釈名の功徳を説て曰く、若し一念の頃も弥勒の名を称せばこの人千二百劫の生死の罪を除却す。又心地観経の第三にいわく、末法の中に於いて善男子ありて一搏之食を衆生に施せば是の善根を以て弥勒を見たてまつりまさに菩提究竟道を得と。智度論にいわく、人有りて少福業を修し福処ありと聞きて當に往生せんと願ふ乃至命終して各其の中に生ずと願ふべし云々。

問ていわく、下品生の得益を見るに微善に依って内院に生ず。若し悪念ありと雖も微少の行を修して往生すべきや。

答、縦ひ、大善根を作すと雖も悪念あらば順次に至るべからず。往生要集にいわく、調達は六万蔵の経を誦しかども猶那落を免れず。慈童は一念の悲願を発して忽ちに兜率に生るることを得。則ち知ぬ昇沈の差別は心に在りて行に非ずと云々。若し行者悪念あらば速やかに懺悔して一切の妄念執着を離れて心清浄なるべし。心清浄なるを菩提心と名く。亦は大悲願を発し、無上の果を求るを菩提心と号す。是の如くの菩提心を因と為し、行を縁となせば微少の行なりとも決定して往生を遂ぐべし。疑いを生ずべからず。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は一粒万倍日です | トップ | 昨日NHKの「こころフォト」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事