何十年も前社会人だったころ、数回地方へ左遷されたことがありました。そのとき知り合いの老人から「人爵よりも天爵」といわれた事があります。左遷先でも道路のごみ掃除や雪掻き、喜捨・巡礼などをして自分なりに陰徳を積んできたつもりでしたが、その後紆余曲折を経て中央に戻りポストにも恵まれ望んだ成果を奇跡的にすべてあげて職業生活を終えることができました。しかし今から思うとその老人は当時、以下にある伊藤仁斎「語孟字義」の「天爵有りて人爵至らざるは、命なり。これに安んずるのみなり。」を言いたかったのかもしれない、と思い起こすことがあります。
「伊藤仁斎「語孟字義」天命条」
「天爵無くして人爵至るは、義にあらざるなり。これを受くべからず。
天爵有りて人爵これに従うは、義なり。まさにこれを受けるべきなり。
天爵有りて人爵至らざるは、命なり。これに安んずるのみなり。
これ、義・命の弁なり。」
「孟子、告子上」「天爵なる者有り、人爵なる者有り。仁義忠信、善を樂しみて倦まざるは、此れ天爵なり。公卿大夫は、此れ人爵なり。古の人は、其の天爵を修めて、人爵之れに從ふ。」
「孟子曰く、天爵なるもの有り、人爵なるもの有り。仁義忠信、善を楽しみて倦まざるは、これ天爵なり。公卿大夫はこれ人爵なり。いにしえの人はその天爵を修むれば、而して人爵これに従えり。今の人はその天爵を修むれば、以て人爵を要(もと)む。既に人爵を得てその天爵を棄つれば、すなわち惑いの甚だしきものなり。ついにまた必ず亡からんのみ。」