「往生の業を相続すれば、妄念の葦はしげけれども、三心の月は宿るなり。
法然上人」とあります。
意味は、お念仏という往生の行を続ければ、煩悩だらけの身であっても、自然に観無量寿経に説く、浄土に生まれるために必要な3種の心、三心(①身口意を誠実にする(至誠心)②深く仏の教えを信ずる(深心)③善行を回向して往生を願う(回向発願心))は具わるものだ。たとえていえば、葦の生い茂った池にもよく見ると葦の間から十五夜の月が宿っているのが見えるようなものだ。煩悩が葦のように生い茂っていても、三心は御仏によって月が宿るように宿るのだ。
法然上人」とあります。
意味は、お念仏という往生の行を続ければ、煩悩だらけの身であっても、自然に観無量寿経に説く、浄土に生まれるために必要な3種の心、三心(①身口意を誠実にする(至誠心)②深く仏の教えを信ずる(深心)③善行を回向して往生を願う(回向発願心))は具わるものだ。たとえていえば、葦の生い茂った池にもよく見ると葦の間から十五夜の月が宿っているのが見えるようなものだ。煩悩が葦のように生い茂っていても、三心は御仏によって月が宿るように宿るのだ。