「よみがえった命 K・T」(日本巡礼記集成)
「今私は還暦を迎えましたが、そんな私にとって忘れられない思い出がございます。それは私が三十六才の時、ある作業をしている時でございます。ふとした不注意から自分の作業着にかかったガソリンに火が付きました。瞬間的に全身火だるまとなり、火は自分の背丈よりも高く上りました。あっという間でした。友人が助けてくれ病院へ運ばれましたが自分は全身が三分の一以上火傷すると助からないということは聞いていました。自分の体は三分の一どころか半分以上火傷していると思われましたのでベッドの傍らで付き添っている妻にかわいい子供たちの将来のことなど頼みました。しかし妻は「心配ありません」と慰めるだけです。その後私は奈落の底に沈むような気がして意識不明となりました。自分でも体が冷たくなっていくのを感じます。遠のいていく意識のなかでも廊下を走る医者の足音が聞こえました。・・その後は全く分からなくなりました。どのくらい経ったか分かりませんが夢でしょうか、私が大きな谷底の一角に跪いています。はるか彼方にはどこまでも続く石段が見えます。その上には美しい白雲が靉びいていました。石段の中ほどに見るからに高貴なお坊様が立っておられて「名は何と申すか」とお尋ねになります。わたしはなぜか助けていただけるのだと思い必死で住所氏名を答えました。そしてなんともいえず有難くなって涙が止めどなく出てきました。その涙の冷たさで私はハット我に返りました。
その後も体の具合は一進一退が続きましたが数日後また夢を見ました。私が手甲脚絆・白足袋・白装束・草鞋の遍路装束で山道を歩いているのです。これはきっとお大師様が私をお招きくださっているのだと思うと、このときも有難くて涙が出て目が覚めました。
このことがあってから日に日に火傷の後遺症は改善し、ついに九死に一生を得て退院できました。
その後お礼参りに小豆島を巡拝しました。すると朝早く第七十二番「瀧湖寺奥之院笠ヶ瀧寺」をお参りした時、いつものように「南大師遍照金剛」とおとなえしながら歩いていくと私が病院で夢に見た景色と一緒の景色が現れたのです。あまりのもったいなさに人前も憚らず男泣きに泣きました。あとで皆で記念写真も撮りました。
これが出来上がって自宅に送られた来た時、再度驚きました。なんとそれは亡父がむかし小豆島巡礼をしたとき自分で撮っていた写真と同じ場所だったのです。ゆくよく考えると生前父が小豆島遍路をしていた余徳でお大師様がたすけてくださったのと思われます。有難いことです。あまりの有難さに思い出すといまでも涙がこぼれます。重ね重ねお大師様の不思議さ有難さをかみしめております。」
「今私は還暦を迎えましたが、そんな私にとって忘れられない思い出がございます。それは私が三十六才の時、ある作業をしている時でございます。ふとした不注意から自分の作業着にかかったガソリンに火が付きました。瞬間的に全身火だるまとなり、火は自分の背丈よりも高く上りました。あっという間でした。友人が助けてくれ病院へ運ばれましたが自分は全身が三分の一以上火傷すると助からないということは聞いていました。自分の体は三分の一どころか半分以上火傷していると思われましたのでベッドの傍らで付き添っている妻にかわいい子供たちの将来のことなど頼みました。しかし妻は「心配ありません」と慰めるだけです。その後私は奈落の底に沈むような気がして意識不明となりました。自分でも体が冷たくなっていくのを感じます。遠のいていく意識のなかでも廊下を走る医者の足音が聞こえました。・・その後は全く分からなくなりました。どのくらい経ったか分かりませんが夢でしょうか、私が大きな谷底の一角に跪いています。はるか彼方にはどこまでも続く石段が見えます。その上には美しい白雲が靉びいていました。石段の中ほどに見るからに高貴なお坊様が立っておられて「名は何と申すか」とお尋ねになります。わたしはなぜか助けていただけるのだと思い必死で住所氏名を答えました。そしてなんともいえず有難くなって涙が止めどなく出てきました。その涙の冷たさで私はハット我に返りました。
その後も体の具合は一進一退が続きましたが数日後また夢を見ました。私が手甲脚絆・白足袋・白装束・草鞋の遍路装束で山道を歩いているのです。これはきっとお大師様が私をお招きくださっているのだと思うと、このときも有難くて涙が出て目が覚めました。
このことがあってから日に日に火傷の後遺症は改善し、ついに九死に一生を得て退院できました。
その後お礼参りに小豆島を巡拝しました。すると朝早く第七十二番「瀧湖寺奥之院笠ヶ瀧寺」をお参りした時、いつものように「南大師遍照金剛」とおとなえしながら歩いていくと私が病院で夢に見た景色と一緒の景色が現れたのです。あまりのもったいなさに人前も憚らず男泣きに泣きました。あとで皆で記念写真も撮りました。
これが出来上がって自宅に送られた来た時、再度驚きました。なんとそれは亡父がむかし小豆島巡礼をしたとき自分で撮っていた写真と同じ場所だったのです。ゆくよく考えると生前父が小豆島遍路をしていた余徳でお大師様がたすけてくださったのと思われます。有難いことです。あまりの有難さに思い出すといまでも涙がこぼれます。重ね重ねお大師様の不思議さ有難さをかみしめております。」