67番大興寺から68番神恵院と69番観音寺迄の道のりは宿の人が「すぐですよ」というので一時間位の つもりで歩きましたがいつまでたっても着きません。
途中何度も道を間違えたと不安に思いましたが、人通りがなくて、聞けませんでした。結局 3時間かかりました。よく考えると11kmあるのですからかかるのは当たり前です。物事油断してとりかかっては駄目だということでしょう。2回目は前回のことがあるので緊張して . . . 本文を読む
67番大興寺は雲辺寺から約十二㌔下です。遍路宿・青空屋からは五キロくらいでしょうか。青空屋からはあっという間につきます。67番大興寺ご詠歌は 「うゑおきし こまつをでら ながむれば のりのおしへの かぜぞふきぬる」です。この「こまつおでら」というのは 67番大興寺の山号小松尾山からきています。
縁起によれば、弘仁十三年(八二二)嵯峨天皇の勅命で弘法大師が熊野三所権現鏡護の霊場として開創、ご本尊 . . . 本文を読む
遍路道の両側には数十mおきに石仏や遍路墓があります。遍路はもともと行乞して行き倒れたら、杖を墓標代わりに立ててもらうことになっていたのですから、昔は遍路路には相当の行き倒れ遍路がいたと思われます。
私は日本列島は各地に無数の霊場があり、まさに霊場列島であるとおもっていますが、その前に墓地列島であるのかもしれないと思ったほど遍路墓も多くあります。それらの一つ一つに合掌して通りすぎます。
出典はいまで . . . 本文を読む
雲辺寺の下りも石のごろごろした急勾配の山道が延々と続きます。こういうところを1千年以上も前に衆生済度の燃えるようなお心を胸にお歩きになったお大師様のご苦労を思うと突然涙がでて前がみえなくなりました。
いつも雲辺寺からすこし下った民宿「青空屋」に泊まります。ここもお遍路仲間の評判のよいところです。17年には5人の中年へんろが夕食で一緒になりました。
中の一人が「納経帖はあまり何回も朱印を押すと . . . 本文を読む
秩父三十四観音霊場巡拝の記録
福聚講(高原耕昇講元)では、7月26日(土)、第2回目の秩父三十四観音霊場巡拝を行った。この日は、じわりと体に汗が出る真夏日で、テレビでは、しきりに熱中症に注意と呼びかけているほどの、暑さの中の巡拝”行軍“となった。
午前10時、西武秩父鉄道・横瀬駅に集合、出発した。
暑さで照りかえる国道を歩くこと15分、霊場札所九番・明星山・明智寺に着く。臨済宗で、ご本尊・如意 . . . 本文を読む
三角寺から66番雲辺寺までの遍路路、土佐街道沿いの民家になかなかいい看板がありました。 まったく普通の事務所のような家なのですがなかなか読ませる文句を張り出してあります。前回17年のときも気がついたのですが通り過ぎました。2回目の19年には写真を撮りました。
「万人幸福の栞17条
1、今日は最良の日、今は無二の好機。
2、苦難は幸福の門。
3、運命は自ら招き、境遇は自ら造る。
4、人は鏡 . . . 本文を読む
先祖供養は現在の子孫の運命を拓く為にも大切です。
お大師様も性霊集に多くの先祖供養の達嚫を残されています。「故藤中納言の為に十七尊の像を造り奉る願文」には「この良縁(善行)によって尊霊をたすけたてまつらむ」とあり、「笠大夫、先妣の奉為に大曼荼羅を造り奉る願文」には「この妙業(曼荼羅造営供養)によって先慈(亡母)をたすけ奉らむ」とあります。いずれも先祖のための各種善行があの世での先祖 . . . 本文を読む
1回目の遍路の時、前神寺をお参りした日の夜は伊予三島の遍路宿に泊まりました。遍路装束を干すために出た宿の屋上からは満月と夕日と海が見えました。今まで海と言えば太平洋ばかりでしたが、終に瀬戸内海が見えるところまできたのだと感無量でした。この光景は遍路の9年後の今までまぶたに焼き付いています。よほどうれしかったのでしょう。
久しぶりに部屋でTVをつけると俳優滝田栄の母の話がでていました。
彼女は重 . . . 本文を読む