「高野春秋」「(嘉祥二年849)二月已巳春二月廿一日、伝燈大法師位壽寵、出京而し奏して言ふ、『伊勢国多度郡太神宮法雲寺を以て真言別院と為、即ち国家護持し兼て太神の威を奉餝せむ』。
天皇は嵯峨天皇第二皇子仁明天皇。
日にちは違いますが、『続日本後紀』嘉祥二年正月辛巳(二十六日)条 にも「傳燈大法師位寿寵言。以伊勢国多度大神宮法雲寺。為真言別院。即為護国家。兼奉飾大神者。依請許之。」とあります。なお此の多度太神宮法雲寺は多度神社に天平宝字七年763、満願禅師が創建、その後伊勢国の准国分寺と目される程の壮麗な伽藍が造営され『続日本紀』延暦元年10月庚戌朔条 (782)には「叙伊勢国桑名郡多度神従五位下」とされて重要視されています。